本シリーズを執筆させていただくようになってから丸2年を超えるが、「昭和歌謡」にこれほど根強くファンがいてテレビでも多くの番組が組まれていることに、実は驚くばかり。つい先日もチャンネル・サーフィンしていたら「昭和の名曲」(TV朝日)と題する番組に出くわした。俳優の高橋英樹、同局の大下容子アナがMCをつとめ、タレントの高田純次らもゲスト出演する3時間に及ぶ番組だったが、チャンネルを合わせたらいきなり美樹克彦と小林幸子の二人が40年ぶりにテレ朝で披露するという触れ込みで、デュエット曲「もしかしてPARTⅡ」を歌唱しているではないか。言うまでもないが、1984年(昭和59)に美樹克彦の作詞・作曲で小林幸子が歌唱して、オリコン11位を記録、同年の第35回NHK紅白歌合戦で歌唱した大ヒット曲である。紅白歌合戦は終盤を迎えていて、都はるみ、森進一の大トリを前に最高の盛り上がりを見せていたが、白組の五木ひろし「長良川艶歌」(同年日本レコード大賞、大賞受賞曲)に対抗したのである。「もしかしてPARTⅡ」も同年、小林&美樹とのデュエット曲としてリリースされ、こちらも30万枚を売るヒットを記録し、オリコン年間ランキング60位、同年の第26回日本レコード大賞金賞を受賞。今でもオジン、オバンのカラオケのデュエット曲の定番として歌い継がれてきている。
それはともかく、目を見張ったのは美樹克彦のテレビ出演で、数十年ぶりの〝再会〟だった。彼が歌唱した代表曲といえる1967年(昭和42)4月発売のシングル「花はおそかった」(作詞:星野哲郎、作曲:米山正夫)が想起され、「かおるちゃん、かおるちゃん、かおるちゃん おそくなって ごめんね」と口を衝いていたのである。
彼は早くから本名の「目方誠(めかた まこと)」で子役としてドラマに出演していたことをしっかり覚えているが、暫くして日本クラウンから美樹克彦と改名して本格的に歌手デビューした。ロック歌謡という風なノリだった。指を鳴らしながら「俺の涙は俺がふく」を歌唱し、「回転禁止の青春さ」では激しく踊りながら歌い、さらに「6番ロック」、「恋の台風第一号」等々スマッシュ的なヒットを続けて当時のアイドル歌手となった。
その直後のバラード風の「花はおそかった」だった。死の淵にある、愛するかおるちゃんが特に好きだったクロッカスの花を探し回ってやっと手にして病床に駆け付けたが、かおるちゃんは息を引き取った後だった、という悲しいドラマの楽曲が美樹克彦を襲った。(花を届けるのが)遅くなってごめんと、「かおるちゃん!」と何度も呼びかけながら詫びる歌詞とともに、最後に「バカヤロー!」と叫んで悲しさより悔しさを露にした。楽曲の前後のセリフが若き恋人同士の死別を物語って余りあったが、ロック調の歌謡曲から悲しげなバラードへの転換は多くの美樹克彦ファンを振り返らせたと言っていい。
正直、十代のボクの心にも刺さったのだった。実はそれどころか、美樹の「花はおそかった」のヒットと同時進行で本物の同級生のカオルちゃんとの悲しい思い出があった。その一部始終が、久々に美樹克彦をテレビ映像に認めたことで走馬灯のようによみがえったのだった。