関口の詩は、歌手を目指して弱冠15歳で単身上京した井沢八郎自身の人生とも重なり累計売上100万枚を記録する大ヒット曲となり、井沢の代表曲となった。集団就職者たちからも大きな支持と共感を得て、昭和の高度経済成長期に生まれた、その時代の世相を反映した歌として、今でも歌い継がれている。〝歌は世につれ、世は歌につれ〟という惹句がピタリとはまるが、それ以上に、この曲が人々の生活に寄り添った歌であることを実感させられる。歌の主人公は、〝人生があの日ここから始まった〟と振り返っている。
井沢八郎は65年にNHK紅白歌合戦に初出場を果たすが曲目は「北海の満月」であった。この曲もスケール感のある、まさに〝男歌〟とも呼べるいい曲である。ちなみに同年の初出場組には、都はるみ、水前寺清子、「夏の日の想い出」の日野てる子、「新聞少年」の山田太郎、「女心の唄」のバーブ佐竹、ジャニーズがいる。翌66年にも2回目の出場となったが、披露したのは「さいはての男」で、井沢八郎が紅白歌合戦で「あゝ上野駅」を披露することはなかった。
だが、82年の紅白歌合戦で、この曲を歌った歌手がいた。2回目の出場となる福島県出身の西田敏行が「あゝ上野駅」を歌ったのだ。2007年1月に井沢は亡くなるが、同年8月放送の「思い出のメロディー」では、追悼として氷川きよしが「あゝ上野駅」を歌唱した。また、井沢の娘である女優でありタレントの工藤夕貴は、井沢の死後の会見で、「パパの遺してくれた大きな宝物『あゝ上野駅』は私が歌い継ぎます」と宣言し、2023年には工藤夕貴が歌う「あゝ上野駅」がCDで発売されている。
2013年には上野駅開業130周年を記念し、上野駅13番線ホームで発車メロディとして採用され、2016年からは、16・17番線の発車メロディとして流れている。
集団就職で上京した幼き日々、都会の生活に慣れなくて、上野駅にたたずみ、この線路をたどっていけば故郷に帰りつくのだ、と涙を流したこともあったかもしれない。駅には、行き交う人それぞれのドラマがあるが、上野駅は集団就職者にとっては、故郷への玄関口として、時代が変わっても郷愁を誘う駅であり続けることだろう。〝上野はおいらの心の駅だ〟と謳われている。「あゝ上野駅」は、昭和が生んだ時代を超えて歌い継がれる歌であり、井沢八郎もまた、昭和歌謡史に名を刻む歌手だった。
文=渋村 徹 イラスト:山﨑杉夫










