
今年は戦後80年という節目にあたり、8月もいくつかの戦争映画がラインアップされている。先日行った映画館で、8月15日公開の『雪風 YUKIKAZE』の予告編が流れてきたが、Uruの歌う主題歌とショート場面だけでも涙腺が緩くなってしまった。駆逐艦「雪風」の艦長を演じる竹野内豊の凛々しい軍服姿にも見とれたが、「10年後、20年後、艦長の娘さんが大人になるころ、日本はどんな国になっているんでしょうね」と先任伍長を演じる玉木宏が問う。艦長の竹野内は、あの低音の渋い声で「普通がいいな」と。その一言がずしりと響いた。
洋の東西を問わず、戦争を描いたもの、あるいは背景に戦争がある映画はかなりの数に及ぶ。戦争を経験した世代はますます減り、語り部も少なくなってきているが、戦争の悲惨さは、後世に伝えていかなければいけない大切なことだ。『火垂るの墓』や『この世界の片隅で』といったアニメや、小説投稿サイトから生まれた『あの花の咲く丘で、また君に会えたら。』などは、10代から20代の若年層が鑑賞者になり、SNSでの口コミで拡散されヒットに繋がった。戦争映画には、教科書に出てこない当時の政治や風潮などを知る機会となり、その後悔や反省こそ未来に繋げられるものと信じたい。
忘れ難い戦争映画のクライマックスには、必ずと言っていいほど、ドラマティックな音楽が流れるものである。そのなかの一曲として、今回は、五木ひろしの「契り」をご紹介したい。
「契り」は、1982年8月公開の『大日本帝国』(配給・東映)の主題歌である。
「丸の内 TOEI」が7月27日(日)に、高倉健と吉永小百合の主演『動乱』(80)の上映で約65年の歴史に幕をおろした。『動乱』も五・一五事件から二・二六事件までの激動の時代を描いている。本作を初めて観たのはテレビだったが、寡黙な青年将校(高倉)とその妻(吉永)の生き様と夫婦愛に深く感動し、さらに小椋佳の歌う「流れるなら」にすっかり魅了された私は、DVDを買い、上映の機会があると大画面で観たくて足を運んだ。そして、「さよなら 丸の内TOEI」の千秋楽の上映もしっかり目に焼き付けた。
振り返ると、「丸の内 TOEI」を訪れたのは、『大日本帝国』を観るため従姉に連れられて訪れたのが初めてだったような気がする。三浦友和が出演していて、軍服姿がものすごく格好いいからというのが、友和ファンの従姉の触れ込みだった。ラストシーンで五木ひろしが歌う「契り」が流れてくると、従姉も私も感極まったこと思い出しながら、『大日本帝国』も久しぶりに鑑賞した。

五木は「契り」(1982)の作曲も手掛けている。作詞は、阿久悠、編曲は京 建輔である。1970年ころから作詞活動を本格化させていた阿久悠は、流行歌を次々に生み出し、その幅の広さは右に出るものがないほどパワーがあった。しかし五木とは縁がなく、むしろレコード大賞などでは競争相手側にいる存在だった。五木に配給の東映から『大日本帝国』の主題歌の歌唱の依頼があり、同じように阿久悠には作詞の依頼があった。予てより阿久悠の作詞を歌ってみたいという思いがあった五木は、初めて阿久悠とのコラボレーションが実現したのだ。それ以前から五木は作曲活動をしていたが、「契り」で初めて公に「作曲・五木ひろし」とクレジットを入れることにしたという。戦争という悲惨な状況の中で、平和を願い、人を愛することの尊さを伝えようとする歌詞に、五木が一言一句を丁寧に歌う。詞の中身を伝えようとする五木の歌唱は、何度聴いても余韻を残す。









