
来月10月4日に89歳の誕生日を迎える〝サブちゃん〟こと北島三郎。演歌の大御所として、若者からシニア世代にいたるまで年代を超えて知られる存在である。5年ぶりの出場となる2018年の紅白歌合戦の特別企画で「まつり」を歌ったのを最後に、歌う姿を見てはいないが、いまでもテレビの歌番組などでは以前の紅白の映像などがたびたび紹介されており、パフォーマンスのすばらしさで視聴者をうならせている。新宿コマ劇場、明治座、御園座、新歌舞伎座、博多座など大劇場での座長公演も2015年の1月までで通算公演数4578回を数え、コンサート活動も2022年まで意欲的に行うなど、歌謡界に大きな足跡を残している。
北島三郎は、1954年に17歳で北海道の高校を中退、歌手の道を志し18歳で上京した。日々の収入源は渋谷を拠点とした〝流し〟の仕事だった。〝流し〟というのは、ギターやアコーディオンを抱え、歌詞本を持参しながら酒場の飲み屋を回り、客の歌の伴奏を務めたり、リクエストに応えて歌を披露するのを生業としていて、カラオケが普及する70年代前半くらいまでは需要があり、最盛期には新宿だけでも100人以上の流しがいたという。五木ひろしや「夢追い酒」の渥美二郎も流しからプロ歌手になり、遠藤実も流しから歌手を経て作曲家になった。
流しの収入が3曲100円だった当時、1000円を出す羽振りのいい客がいた。その客は北島の評判を聞きつけた日本コロムビアの芸能部長で、作曲家・船村徹を紹介されることになった。渋谷に50人ほどいた流しの中でナンバー・ワンの折り紙をつけられ、北島は渋谷のネオン街でその名を轟かす売れっ子になっていたのだ。これを機に、北島は船村徹門下に入る。62年6月5日に「ブンガチャ節」でレコードデビューを果たすが不発に終わった。ところが8月20日に出した2枚目のシングル「なみだ船」(作詞:星野哲郎、作曲:船村徹)が大ヒットとなり、「下町の太陽」の倍賞千恵子と共に62年の日本レコード大賞新人賞を受賞する。大賞は橋幸夫と吉永小百合の「いつでも夢を」、歌唱賞は「星屑の町」の三橋美智也という年だった。ちなみに北島のデビューから一年後の63年6月5日には舟木一夫が「高校三年生」で、その翌年の64年6月5日には小林幸子が「うそつき鴎」でそれぞれ日本コロムビアからデビューしている。歌手のデビューにとって6月5日というのは、何か願掛けのようなものが込められているのだろうか。
北島は63年の秋、日本クラウンの設立と同時に同社へ移籍し、「ギター仁義」で年末のNHK紅白歌合戦に初出場を果たした。63年の紅白歌合戦は白組司会を当時NHKの人気アナウンサー宮田輝、紅組司会を人気歌手江利チエミが担当している。初出場組には梓みちよ、袴姿で歌う畠山みどり、倍賞千恵子、「島のブルース」の三沢あけみ、トリオで出場した中尾ミエ・伊東ゆかり・園まり、「島育ち」の大ヒットでカムバックを果たしたベテラン田端義夫、ボニージャックス、舟木一夫らがいた。また、ゲスト審査員には〝時の人〟として作家の丹羽文雄、歌舞伎俳優・實川延若、西鉄ライオンズ選手兼任監督の中西太、大関栃ノ海、新珠三千代、佐久間良子らが選ばれており、テレビ放送史上驚異的な最高視聴率81.4%を獲得している。











