舟木が、学園ソングからラブソングへと移行していく橋渡しとなる曲は「花咲く乙女たち」だろう。その後、「北国の街」「東京は恋する」「高原のお嬢さん」「哀愁の夜」といった、ラブソングのヒット曲を連発する。「高原のお嬢さん」は31枚目のシングル盤で、日本コロムビア創立55周年記念として昭和40年10月5日にリリースされている。中には童謡やクリスマスソングといったオリジナル以外の曲もあるが、それにしても昭和38年6月5日のデビューから2年半足らずの期間でのリリース数としては、今や考えられない枚数である。昭和40年だけでも13枚のシングルが発売されている。日本コロムビアがいかに力を入れていたかがわかる。〝リーフ(Leaf)〟という歌詞がリフレインとして効果的に使われ、聴く人にも強い印象を残した。
デビュー曲の「高校三年生」をはじめ多くのヒット曲が映画化されているが、特に日活では「学園広場」以来、次から次へと舟木のヒット曲を映画化した。「高原のお嬢さん」も映画化され、昭和40年の日活最大のヒット映画となった。和泉雅子、山内賢に加えて、ザ・スパイダースのメンバーも出演していた。舟木は、この曲と出会ったとき、「やっと、流行歌手として片足が地に着いたような気がした」と語っており、紅白での歌唱は、舟木自身が認める最高の出来だったと言っている。コンサートでも、人気の高い曲である。ちなみに、現在、CS放送の映画・チャンネルNECOでは、舟木一夫芸能生活60周年記念として、毎月これまでの出演映画が放送されているが、8月7日と24日には『高原のお嬢さん』が放送される。
舟木が詰襟姿で「高校三年生」でデビューしたとき、僕は小学校3年生だった。昼食時には、校内放送でも「高校三年生」が流された。校内放送で流行歌が流されたのは、この曲が最初である。僕たちは、高校三年生を小学3年生と置き換えて歌っていた。どこかシャイで、照れ屋なのか、同年代の橋幸夫が、堂々とテレビのど真ん中に写っているのに、舟木はいつも遠慮がちにブラウン管の端っこに所在なさげに佇んでいたのが、子供ながらにもどかしさも感じたが、それがこの人の品性とも映った。さらに誕生日が、僕と一緒だと知るや、一気にひいきになった。後に、編集者となり、まさか舟木一夫のインタビューをする日がこようとは、もちろん夢にも思っていなかった。
文=渋村 徹