1999年第4回のワールドカップが開催される年だった。同志社大学、神戸製鋼で活躍した平尾誠二は前年に現役を引退し、日本代表の監督になっていた。過去3回のワールドカップは惨憺たる成績だったことも、大学ラグビーを除いてあまり人気がないことも改めて知った。
「このチームは〝平尾ジャパン〟ではない。〝チームジャパン〟だ」と彼は言い続けた。代表であることにプライドを持てるチームを目指し、ニュージーランド人のアンドリュー・マコーミックをキャプテンにした。彼は日本代表のためにすべてを賭して戦った。それまで勝てなかったサモアやアルゼンチンに勝利し、環太平洋のチームが集うパシフィック・リム選手権で優勝するなど、手応えと自信をもって第4回のワールドカップに臨んだ。しかし、初戦でサモアに9-43で敗れ、ウェールズ戦では大畑大介の華麗なトライも実らず、15-64で大敗。アルゼンチン戦はノートライで、12-33と3戦全敗に終わった。翌年のテストマッチも日本代表は負け続け、平尾監督は解任された。代表監督として志半ば、一ファンとして非常に切なかった。もう一度日本代表の監督をやってほしかった。
神戸製鋼のゼネラルマネージャー、監督としスタンドで試合を見守る姿があったが、2016年10月20日、平尾誠二の信じたくない訃報が届いた。53歳という若さだった。ラグビー界の眩しい光が消えてしまい、心にぽっかり穴があいた思いだった。これから日本のラグビーはどうなるのだろうと憂慮していたが、2019年日本開催のワールドカップでは、平尾ジャパンでメンバーだったジェイミー・ジョセフが日本代表ヘッドコーチとしてチームジャパンを率いて悲願のベスト8入りを果たした。長年負け続けた日本代表を見てきた私にとっては夢のような出来事だった。トライを決めた福岡賢樹選手の「全てを犠牲にして、この勝利にかけた」というコメントに涙が出た。
そして今年6月、平尾監督と同志社大学、日本代表で共に戦った土田雅人が日本ラグビー協会の会長に就任した。土田会長は23年のワールドカップでは、ベスト4入りを目標に掲げた。平尾監督の想いをつないでくれるに違いない。
2013年12月1日、国立競技場で行われた最後の「早明戦」のセレモニーで、そして一躍ラグビーが注目されるようになった2019年の大晦日の紅白歌合戦で、松任谷由実が「ノーサイド」を歌い上げてくれた。一つの歌は、一スポーツまでも盛り上げてくれる。ラグビーファンにとっては感謝しかない「ノーサイド」である。
文=黒澤百々子