アグネス・チャンは、14歳のとき香港で歌手デビューしたが、来日前アジア圏ではすでに知名度があった。香港では自身の冠番組「アグネス・チャンショー」があるほどだった。番組で共演した作曲家の平尾昌晃の猛烈なスカウトで日本デビューしたのは17歳。「草原の輝き」は、シングル3枚目で、作詞・安井かずみ、作曲・平尾昌晃、編曲・馬飼野俊一というヒットメーカーたちによるもので、73年7月25日にリリースされた。その後も「小さな恋の物語」「星に願いを」「ポケットいっぱいの秘密」、荒井由実作詞・作曲による「白いくつ下は似合わない」など、ヒット曲がある。「草原の輝き」は、74年の春の選抜高校野球大会の入場行進曲にも選ばれた。
しかしデビュー後1、2年の活躍は、アグネス・チャンにとって序章に過ぎない。デビューから1年半ほど過ぎた74年に上智大学の国際学部に入学する。アイドルとしてすでに人気を博していた歌手が、4年制大学に入学する例などほとんどなかった。その後カナダ一の名門トロント大学に編入、結婚や出産を経験した後の89年には世界的な名門校であるスタンフォード大学教育学部博士課程に留学し、94年、40歳を目前に博士号を授与している。その間には「子連れ出勤」の是非をめぐって「アグネス論争」も巻き起こしたが、そんな批判も何のその。逞しい母・アグネスは、三人の息子たちをスタンフォード大学へと導いた。『スタンフォード大に三人の息子を合格させた教育法』を2015年に出版、世間をあっと驚かせた。ところが、三男がまだ11歳のとき乳がんの宣告を受ける。アグネスはそれをも克服し「ピンクリボン運動」にも参加。さらに日本ユニセフ協会大使として、ソマリアやスーダンなど、紛争国や政情不安の国々へ視察に赴く。そのたびに、遺書を書いたという。恐るべし、アグネス・チャンの半生記である。着実にネオウーマン(新しい女性)として輝かしい軌跡を残してきたのである。
そして2022年はデビュー50周年だということ改めて知った。記念コンサート「平和の歌声よ、届け!」では、「今日生きているのは恵みです。出会ったみんなのおかげです。今日は一番若い、笑顔をばらまきます」と語り、22曲を熱唱した。
デビュー曲「ひなげしの花」を歌う50年前のアグネス・チャンをYouTubeでみたが、長いストレートの髪をゆらしながら、ギターを抱えて歌っている姿は可愛らしく、健気だ。50年後の今、歌う姿は当時と変わりない。15年前の大晦日に亡くなった父であるが、今のアグネス・チャンをみたら、またもらい泣きしているのではないか。命日が近づくと、あの日の父の横顔が鮮明によみがえるのである。
文=黒澤百々子