21.06.28 update

朝から晩まで川遊び、真っ黒に日焼けした夏の日

昭和三十年代なかば多摩川は泳げる川だった

 室生犀星原作、成瀬巳喜男監督の『あにいもうと』(53年)は多摩川べりの農村に生まれ育った兄(森雅之)と二人の妹(京マチ子と久我美子)の物語。映画の冒頭、夏の多摩川で子供たちが泳ぐ場面がある。

 石ころだらけの河原から川に入る。深さは膝くらいまでだから、泳ぐというより水遊びだが、夏の日ざしのなか、子供たちは楽しそうだ。三太と同じようにこのころも子供たちはふんどし姿。

 室生犀星の原作は昭和九年に書かれている。成瀬の映画はそれから二十年近くたって作られているが、まだ多摩川で子供たちは泳ぐことが出来た。時間がゆっくりしている。

 そういえば、杉並区の阿佐谷で育った私も小学生の時に、多摩川で泳いだ記憶がある。昭和三十年ころ。まだ川はきれいだった。

 成瀬巳喜男監督の昭和三十五年の作品『秋立ちぬ』にも若者が多摩川で泳ぐ場面がある。

 銀座に近い新富町あたりの八百屋の息子、夏木陽介が、カブトムシを取りたいという小学生のいとこ(大沢健三郎)をオートバイに乗せて多摩川に行く。大田区あたり。

 少年が雑木林でカブトムシを探しているあいだ、自分は多摩川で泳ぐ(さすがにもう水泳パンツ)。昭和三十年代のなかばまで、都心に近い多摩川で泳げた。

昭和の10年代くらい、男の子の水着といえばふんどし。魚を捕るために水中をのぞくのもゴーグルでなく、ガラスがはめこまれた四角い箱で水中をうかがい、モリで魚を突く。川の水もきれいで、川は子供たちにとって夏場の格好な遊び場だった。写真提供:浦松幹雄氏『写真集 昭和一ケタ~10年代』所収

夏、川は人を呼ぶ

 岡本かの子の昭和十一年の作品『渾沌未分(こんとんみぶん)』は水泳の好きな少女を主人公にしている。

 父親は青海流という古式泳法の先生。娘を水泳が上手くなるように子供のころから厳しく育てた。

 父親の水泳場は隅田川にあった。大正時代にはまだ隅田川で充分に泳げた。ところが、東京の町が開けてゆくうちに、隅田川の水は汚れてしまい、父親は仕方なく水泳場の場所を東へ、東へと移してゆく。

 現在の江東区に多くあった掘割を転々とする。しかし、昭和になると、工場が増えてゆき、その掘割も汚れる。とうとう、当時の東京の東を流れる荒川(昭和はじめに完成した放水路)にたどり着く。隅田川から荒川へ。東京の発展と共に、泳げる川が少なくなっていることが分かる。

 荒川は人工の放水路だが、川幅は広く、自然の大河のように見える。水泳好きの少女にとっては、荒川が格好の水泳場になる。

 水泳大会の日、少女は、現在の江東区砂町あたりから荒川に入ると、下流へ、東京湾へと向かって泳ぎ出す。川がいつしか海へ溶け合い、渾沌未分としてくる。広々とした水のなかに小初という少女ひとり。

 「小初は何處までも白濁無限の波に向って抜き手を切って行くのであった」。

 夏、川は人を呼ぶ。

 石坂洋次郎原作のオムニバス映画『くちづけ』(55年)の第二話「霧の中の少女」(鈴木英夫監督)は夏の若者たちの物語。

 東京の大学に入った女学生(司葉子)が、夏休み、故郷の会津に帰る。妹(中原ひとみ)や弟(伊東隆)たちと近くの川に泳ぎにゆく。田園のなかを流れる清流。泳ぎ疲れると河原の木かげでみんな一緒に川で冷やしたスイカを食べる。川遊びのあとの冷えたスイカのおいしいこと。

 「夏川をこすうれしさよ手にぞうり」(蕪村)。

かわもと さぶろう
評論家(映画・文学・都市)。1944年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5冊)『映画を見ればわかること』『向田邦子と昭和の東京』『それぞれの東京 昭和の町に生きた作家たち』『銀幕の銀座 懐かしの風景とスターたち』『小説を、映画を、鉄道が走る』(交通図書賞)『君のいない食卓』『白秋望景』(伊藤整文学賞)『いまむかし東京町歩き』『美女ありき―懐かしの外国映画女優讃』『そして、人生はつづく』『映画は呼んでいる』『ギャバンの帽子、アルヌールのコート:懐かしのヨーロッパ映画』など多数の著書がある。

1 2

映画は死なず

新着記事

  • 2024.09.05
    引きこもりの愉しみ─萩原 朔美の日々   

    第22回 キジュからの現場報告

  • 2024.09.05
    尾上松也、瀧内公美、段田安則らが織田作之助の『夫婦...

    東京、愛知、大阪公演

  • 2024.09.05
    今年4月、84歳で逝ったいぶし銀のような名バイプレ...

    佐川満男「今は幸せかい」

  • 2024.09.04
    上村松園の渾身の名作《雪月花》三幅対も公開!皇居三...

    9月10日(火)~10月20日(日)

  • 2024.09.04
    『テルマエ・ロマエ』の原作者・ヤマザキ マリさんが...

    大切な入浴と睡眠

  • 2024.09.03
    十代の宮﨑あおいが三億円強奪事件実行犯を演じた『初...

    文=河井真也

  • 2024.09.03
    世界的人気ピアニスト フジコ・ヘミングの2020年...

    応募〆切:10月10日(木)

  • 2024.09.02
    <特集>今、時代劇が熱い! 第2弾、藤沢周平時代...

    時代劇は日本文化の財産である

  • 2024.08.30
    東京国立近代美術館「ハニワと土偶の近代」観賞券

    応募〆切:9月29日(日)

  • 2024.08.30
    第2回 高峰秀子☆ デコちゃんのP.C.L.=東宝...

    文=高田雅彦

特集 special feature 

わだばゴッホになる ! 板画家・棟方志功の  「芸業」

特集 わだばゴッホになる ! 板画家・棟方志功の 「芸業...

棟方志功の誤解 文=榎本了壱

VIVA! CINEMA 愛すべき映画人たちの大いなる遺産

特集 VIVA! CINEMA 愛すべき映画人たちの大いな...

「逝ける映画人を偲んで2021-2022」文=米谷紳之介

放浪の画家「山下 清の世界」を今。

特集 放浪の画家「山下 清の世界」を今。

「放浪の虫」の因って来たるところ 文=大竹昭子

「名匠・小津安二郎」の生誕120年、没後60年に想う

特集 「名匠・小津安二郎」の生誕120年、没後60年に想う

「いい顔」と「いい顔」が醸す小津映画の後味 文=米谷紳之介

人はなぜ「佐伯祐三」に惹かれるのか

特集 人はなぜ「佐伯祐三」に惹かれるのか

わが母とともに、祐三のパリへ  文=太田治子

ユーミン、半世紀の音楽旅

特集 ユーミン、半世紀の音楽旅

いつもユーミンが流れていた 文=有吉玉青

没後80年、「詩人・萩原朔太郎」を吟遊す 全国縦断、展覧会「萩原朔太郎大全」の旅 

特集 没後80年、「詩人・萩原朔太郎」を吟遊す 全国縦断、...

言葉の素顔とは?「萩原朔太郎大全」の試み。文=萩原朔美

「芸術座」という血統

特集 「芸術座」という血統

シアタークリエへ

喜劇の人 森繁久彌

特集 喜劇の人 森繁久彌

戦後昭和を元気にした<社長シリーズ>と<駅前シリーズ>

映画俳優 三船敏郎

特集 映画俳優 三船敏郎

戦後映画最大のスター〝世界のミフネ〟

「昭和歌謡アルバム」~プロマイドから流れくる思い出の流行歌 

昭和歌謡 「昭和歌謡アルバム」~プロマイドから流れくる思い出の...

第一弾 天地真理、安達明、久保浩、美樹克彦、あべ静江

故・大林宣彦が書き遺した、『二十四の瞳』の映画監督・木下惠介のこと

特集 故・大林宣彦が書き遺した、『二十四の瞳』の映画監督・...

「つつましく生きる庶民の情感」を映像にした49作品

仲代達矢を映画俳優として確立させた、名匠・小林正樹監督の信念

特集 仲代達矢を映画俳優として確立させた、名匠・小林正樹監...

「人間の條件」「怪談」「切腹」等全22作の根幹とは

挑戦し続ける劇団四季

特集 挑戦し続ける劇団四季

時代を先取りする日本エンタテインメント界のトップランナー

御存知! 東映時代劇

特集 御存知! 東映時代劇

みんなが拍手を送った勧善懲悪劇 

寅さんがいる風景

特集 寅さんがいる風景

やっぱり庶民のヒーローが懐かしい

アート界のレジェンド 横尾忠則の仕事

特集 アート界のレジェンド 横尾忠則の仕事

60年以上にわたる創造の全貌

東京日本橋浜町 明治座

特集 東京日本橋浜町 明治座

江戸薫る 芝居小屋の風情を今に

「花椿」の贈り物

特集 「花椿」の贈り物

リッチにスマートに、そしてモダンに

俳優たちの聖地「帝国劇場」

特集 俳優たちの聖地「帝国劇場」

演劇史に残る数々の名作生んだ百年のロマン 文=山川静夫

秋山庄太郎 魅せられし「役者」の貌

特集 秋山庄太郎 魅せられし「役者」の貌

役柄と素顔のはざまで

秋山庄太郎ポートレートの美学

特集 秋山庄太郎ポートレートの美学

美しきをより美しく

久世光彦のテレビ

特集 久世光彦のテレビ

昭和の匂いを愛し、 テレビと遊んだ男

加山雄三80歳、未だ青春

特集 加山雄三80歳、未だ青春

4年前、初めて人生を激白した若大将

昭和は遠くなりにけり

特集 昭和は遠くなりにけり

北島寛の写真で蘇る団塊世代の子どもたち

西城秀樹 青春のアルバム

特集 西城秀樹 青春のアルバム

スタジアムが似合う男とともに過ごした時間

「舟木一夫」という青春

特集 「舟木一夫」という青春

「高校三年生」から 55年目の「大石内蔵助」へ

川喜多長政 &かしこ映画の青春

特集 川喜多長政 &かしこ映画の青春

国際的映画人のたたずまい

ある夫婦の肖像、新藤兼人と乙羽信子

特集 ある夫婦の肖像、新藤兼人と乙羽信子

監督と女優の二人三脚の映画人生

中原淳一的なる「美」の深遠

特集 中原淳一的なる「美」の深遠

昭和の少女たちを憧れさせた中原淳一の世界

向田邦子の散歩道

特集 向田邦子の散歩道

「昭和の姉」とすごした風景

あの人この人の、生前整理archives

あの人この人の、生前整理archives
読者の声
Social media & sharing icons powered by UltimatelySocial
error: Content is protected !!