大人を子供に帰らせるかき氷
氷ラムネが出てくる懐かしい映画がもう一本ある。
昭和十六年の高峰秀子の子供時代の作品、井伏鱒二原作の『秀子の車掌さん』(原作名は『おこまさん』)。
高峰秀子が山梨県の甲府の田舎町を走るバスの車掌を演じる。季節は夏。運転手(藤原釜足。戦時中は、鎌足をもじった芸名が怖れ多いと鶏太に改名)は、町の甘味処でひと休み。
暑いからだろう、かき氷を一人で食べている。途中で、味が薄くなり、おかみさんの姿が見えない隙に、こっそりシロップをかける、それを隣りの席でやはりかき氷を食べていた小さい兄妹がじっと見る。
ばつが悪くなった運転手は子供たちのかき氷にもシロップをかけてやる。笑わせる。いたって気はいい。
この運転手がズボンのベルトのところに手拭いを垂らしているのも懐かしい。近年はほとんど見なくなったが、昭和三十年代まではみんなよくこれをしていた。
バス会社の社長(勝見庸太郎)は、ワンマンではあるが、愉快なところもある。氷ラムネが好きなのだ。
客が来ると、かき氷を取り寄せ、振舞い、自分でラムネを開ける。「ポン、シューツ、というのを聞くのが好きなんだ」。ワンマン社長も子供のよう。
清少納言も食したかき氷
氷はいうまでもなく、もともと天然氷が主。清少納言の『枕草子』に「削り氷に甘葛(あまづら)を入れて、あたらしき金鋺(かなまり)(金属製の椀)に入れたる」と、いまでいうかき氷を食する記述がある。天然氷で当時は貴重品。江戸時代には富士山の氷が将軍家に献上されたことはよく知られている。
人造氷が普及するようになるのは、明治三十年代になってから。
日露戦争のころ、埼玉県羽生(はにゅう)の在の小学校で代用教員をしている青年を描いた明治の代表的な青春小説『田舎教師』(明治四十二年)に、かき氷が出てくる。
夏。青年は先輩たちに誘われて町に新しく出来たという湯屋(いまでいうスーパー銭湯のようなところだろう)に出かけてゆく。湯屋のなかにはかき氷屋もある。
「氷見世には客が七八人も居て、この家の上さんが襷をかけて、汗をだらだら流して、せっせと氷をかいている」
かき氷が登場する小説の早い例だろう。この頃から一般化している。
手元の百科事典には、一八九九年(明治三十二年)、東京の本所業平橋の人造氷製造工場で日産50トンの氷が生産され、全国に普及していったとある。その結果、田舎町にも、かき氷を売る店が出来たのだろう。
昭和十二年に「朝日新聞」に連載された永井荷風の『濹東綺譚』にも、かき氷が登場する。
老作家の「わたくし」は、隅田川の東、向島の私娼街、玉の井に通い、私娼のお雪と親しくなる。
夏が終わり、九月に入った一日、「わたくし」がお雪を訪ねると、お雪は氷白玉を御馳走してくれる。「わたくし」が、白玉が好きと知っている。お雪は、店に行くのではなく通りを売り歩く「氷屋」から氷白玉を買っている。玉の井のような私娼の家が並ぶ町ではこういう商いが成り立ったのだろう。
夏、一番のおもてなし
山田洋二監督『男はつらいよ』にも、かき氷が登場する。
シリーズ第13作「寅次郎恋やつれ」(74年、吉永小百合主演)。
寅(渥美清)の実家、柴又のとらや(40作以降はくるまや)は、だんご屋であるが、夏になると、かき氷を出す。客へのサービスの意味もあるのだろう。夏には欠かせない。
吉永小百合演じるヒロインの父親、宮口精二が夏の一日、娘が世話になったと、とらやに礼を言いに来る。
この時、おばちゃん(三崎千恵子)は、氷をかいて、かき氷を作る。
ざっかけないかき氷を客に出す。いかにも気取らない下町らしい。炎天下、やってきた客には、かき氷は最高の御馳走なのではあるまいか。
かわもと さぶろう 評論家(映画・文学・都市)。1944 年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5 冊)『映画を見ればわかること』『向田邦子と昭和の東京』『それぞれの東京 昭和の町に生きた作家たち』『銀幕の銀座 懐かしの風景とスターたち』『小説を、映画を、鉄道が走る』(交通図書賞)『君のいない食卓』『白秋望景』(伊藤整文学賞)『いまむかし東京下町歩き』『美女ありき―懐かしの外国映画女優讃』『映画は呼んでいる』『ギャバンの帽子、アルヌールのコート:懐かしのヨーロッパ映画』『成瀬巳喜男 映画の面影』『映画の戦後』『サスペンス映画ここにあり』『日本すみずみ紀行』『東京抒情』『ひとり居の記』など多数の著書がある。