銀座っ子を浮き浮きさせたお地蔵様の縁日
そもそも夜店とはいつごろ、どうして生まれたのだろうか。
これについては詳しく分らないが、寺社で開かれていた縁日が起源ではないか。山田洋次監督の『男はつらよ』シリーズでよく知られている、渥美清演じるテキヤの寅が露店で啖呵売をする、あの縁日である。
銀座でも、夜店の他に、四丁目の出世地蔵には縁日があり、その日は露店でにぎわった。銀座のてんぷら屋の名店、天金に生まれた(大正三年)国文学者の池田弥三郎は、回想記『銀座十二章』(昭和四十年、朝日新聞社)のなかで銀座っ子にとっては、銀座の縁日が楽しみだったと書いている。
「縁日は、ふだんの町の生活のアクセントでもあった。銀座という町そのものが、始終お祭りの日みたいなものであったが、そこに住んでいる者にとっては、やはりお地蔵様(注、出世地蔵)の縁日などは気もちを浮き浮きさせた」
縁日には、「ぶどう餅、あんこだま、べっこうあめ、さらしあめ、どんどん焼、電気あめ、カルメル焼」などの店が並んだという。現在の銀座の夜にも、こんな夜店があればいいのだが。
戦前から続いていたこの銀座の夜店は、戦後、米軍による占領時代(オキュパイドジャパン)に、不衛生として撤去され、その歴史を閉じてしまった。
下町にも山の手でも縁日には夜店が並んだ
銀座だけではない戦前の昭和の東京には、銀座の夜店のにぎわいに倣ったのだろう、小さな町でも夜店が出るようになった。震災後の復興期に、きちんとした店を構えることなく、とりあえず商売をするには露店しかなかった。
昭和十二年に「朝日新聞」に連載小説として発表された永井荷風の『濹東綺譚』は老いを迎える一人暮しの作家、「わたくし」と、隅田川の東、向島の私娼の町、玉の井に暮す、私娼のお雪との淡い交情を綴った名作だが、この作品のなかに、夜店が出てくる。
隅田川の東の陋巷(ろうこう)、玉の井にも夜店が出る。
お雪を知って、私娼の町に通うようになった「わたくし」は、町のすみずみを歩くようになり、小さな寺や稲荷の周辺で、毎月、二日と二十日の両日に縁日があり、その日は、夜店が並ぶことを知る。
下町らしく、植木屋が多い。「植木屋が一面に並べた薔薇や百合夏菊などの鉢物に時ならぬ花壇をつくっている」
「わたくし」は、ある店で、常夏(とこなつ)の花一鉢を買い求める。お雪へのみやげにしようとしたのだろう。
下町だけではない。山の手にも夜店が出た。
大正九年生まれの作家、安岡章太郎は少年時代、東京の青山で過した(父は軍医)。短篇「宿題」には、少年時代(昭和のはじめ)、「僕」が母親と共に青山の寺の縁日に行く姿が描かれている。
日が暮れると、近隣の人が縁日に出る。夜店が並ぶ。「僕」は母親に連れられ、歩く。
「境内には夜店が行列していた」
鈴のついたお守り袋。ハッカパイプ。新発明の大根おろし器。さらに「僕」が心惹かれたブリキ製のシャープペンシル。
多くの夜店の並ぶ縁日は、子供の天国だった。
その縁日が悲しい思い出にもなる。
宮本輝原作、小栗康平監督の『泥の河』(81年)。昭和三十年代はじめの大阪の下町に住む子供たちを描いている。
まだ貧しい時代。川べりの安食堂の子供、信雄は、川に浮かぶ船で暮す喜一と親しくなる。ある夏、信雄は母親(藤田弓子)に、二人ぶんのこづかい(それぞれ五十円)をもらい、近くの神社の縁日に行く。
金魚すくい、たこ焼き、焼きとうもろこし。買いたいものはたくさんある。何を買ったらいいか。
楽しく迷っているうちに、喜一のズボンのポケットに穴があいていて、せっかくの「五十円」がなくなってしまう。
楽しい筈の縁日で、お金を落してしまう。子供にとってこんな悲しい縁日はないだろう。
かわもと さぶろう
評論家(映画・文学・都市)。1944 年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5 冊)『映画を見ればわかること』『向田邦子と昭和の東京』『それぞれの東京 昭和の町に生きた作家たち』『銀幕の銀座 懐かしの風景とスターたち』『小説を、映画を鉄道が走る』(交通図書賞)『白秋望景』(伊藤整文学賞)『いまむかし東京下町歩き』『成瀬巳喜男 映画の面影』『映画の戦後』『サスペンス映画ここにあり』『日本すみずみ紀行』『東京抒情』『ひとり居の記』『物語の向こうに時代が見える』『「男はつらいよ」を旅する』『老いの荷風』など多数の著書がある。