◆劇団、俳優養成所、劇場の三本柱◆
これらの公演活動に加え、49年には演劇研究所付属俳優養成所を開設して若手演劇人の育成にも本格的に着手し、16期生が最後となった67年の閉鎖までに約600人を演劇界に送り出した。さらに、演劇研究所の建設のために確保していた六本木の土地を使って、活動の拠点となる劇場建設にも積極的に打って出る。50年代は日本映画の黄金期でもあり、プロの演劇人は映画界から引っ張りだこで、東野や小沢、千田をはじめ劇団員はギャラの70%を収めて劇場建設に邁進した。その苦労もあって54年4月に客席数400の俳優座劇場が誕生。現代劇を上演する自前の専用劇場の誕生は、45年の東京大空襲で焼失した築地小劇場以来のことだった。こけら落とし公演はギリシャ悲劇『女の平和』を青山の演出で上演し、100人近い出演者が舞台に立って賑やかな船出を飾った。
劇団、養成所、劇場。創立からわずか10年で三本柱を手にした俳優座の歩みは、戦後の現代劇の歩みそのもので、千田をはじめ、青山、小沢、田中千禾夫らそうそうたる演出家の下、俳優の個性を生かした舞台表現で現代演劇の基礎を固め、新時代の到来に若者が呼応する形で人気俳優も次々と生まれていく。田中千禾夫『千鳥』(59)、鶴屋南北『東海道四谷怪談』(64)、ゲーテ『ファウスト』(65)などの平幹二朗、安部公房『幽霊はここにいる』(58)や『巨人伝説』(60)の田中邦衛、シェイクスピア『十二夜』(59)、トルストイ『アンナ・カレーニナ』(60)の河内桃子、ブレヒト『セチュアンの善人』(60)や『三文オペラ』(62)の市原悦子、小山祐士『黄色い波』(61)、チェーホフ『かもめ』(74)の中野誠也、シェイクスピア『ハムレット』(64)、『オセロ』(70)、『リチャード三世』(74)で仲代達矢が躍動したほか、シェイクスピア『ハムレット』(71)、トルストイ『戦争と平和』(73)の山本圭、田中千禾夫『マリアの首』(73)の佐藤オリエ、シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』(77)、イプセン『野鴨』(78)の加藤剛、チェーホフ『三人姉妹』(68)、ブレヒト『コーカサスの白墨の輪』(80)の栗原小巻、シラー『メアリ・スチュアート』(83)の川口敦子、と枚挙にいとまがない。