成瀬映画に出演した多くの俳優たちのインタビュー証言を読むと、成瀬監督がよく話していたキーワードは次の二つに集約できる。「余計な芝居をしないで」「自然に」だ。
成瀬会にも出席されていた小林桂樹さん(2010年死去)は、複数のインタビューや対談で成瀬監督から演技を「オーバー」と言われたと話していた。自分ではまったく演技などしていないのだがと笑いながら。
高峰秀子(2010年死去)は、演じるのが難しい役と感じていた『あらくれ』(57)の撮影前に、「(成瀬)先生、これどういう風に演じたらいいですか」と訊いたところ「そのうち終わるだろう」と言われたとインタビューで証言している。
アルフレッド・ヒッチコック監督が、『山羊座のもとに』(49)の時に、演技指導をめぐりイングリッド・バーグマンに言ったといわれる有名な言葉「イングリッド、たかが映画じゃないか」に共通した雰囲気のエピソードだ。
成瀬監督に関するエピソードの証言は数多くあるのだが、スタッフや俳優たちは「いじわるじいさん」と呼んでいたらしい。これは高峰秀子のエッセイ『わたしの渡世日記』(文春文庫)の中に記述されているので、渾名の命名者は高峰秀子かもしれない。
成瀬映画は、小津映画と比較してみるとより面白い。「小津は二人いらない」と言われて松竹蒲田からP.C.L.へ移籍した話は有名だが(発言の真偽は不明)、異なる要素(映画術)は数多い。一つだけ挙げれば、小津映画では室内、屋外とも人物をすぐに座らせる。成瀬映画は室内、屋外とも人物を実によく動かす。筆者は「成瀬映画はアクション映画である」と名付けたのだが、これは成瀬映画を観てもらえれば納得してもらえるだろう。後編では、第三の視点、第四の視点をご紹介する。

平能哲也(ひらの てつや)
1958(昭和33)年、東京生まれ。1982年学習院大学文学部フランス文学科卒。PR会社に16年間勤務の後、危機管理・広報コンサルタント、ライター(個人事業主)として独立、公益社団法人日本広報協会 広報アドバイザーを務める。成瀬映画には1980年代の後半に出会い、2005年の生誕100年の時に、現存する69作品をすべて観た。同年に著書「成瀬巳喜男を観る」(ワイズ出版)、編集協力「成瀬巳喜男と映画の中の女優たち」(ぴあ)に関わり、また1998年から現在までウェブサイト「日本映画の名匠 成瀬巳喜男ファンページ」の作成・運営。2021年からは成瀬映画、小津映画、川島映画などのロケ地を紹介するYouTube「旧作日本映画ロケ地チャンネル」の作成・運営。毎年7月2日の命日に成瀬組のスタッフ、キャストが集まる「成瀬監督を偲ぶ会」の事務局メンバー。








