◆特集コラム 劇団俳優座80年の役者たち Vol.4◆
2024年2月10日に創立80周年を迎えた「劇団俳優座」。劇団俳優座で活躍した名優たちをクローズアップしてお届けする。第4回は創設者の一人、東野英治郎(とうのえいじろう)。
東野英治郎(1907年9月17日~1994年9月8日)。
群馬県富岡市の造り酒屋に生まれた東野は、地元の旧制中学を卒業すると、明治大学商学部に進んだ。1931年に卒業すると劇団築地小劇場のプロレタリア演劇研究所第1期生となり『恐山トンネル』(34)で初舞台を踏む。研究所卒業の同年9月、新築地劇団に入団すると数々の大役を演じ、新築地劇団の中心俳優となった。こうした舞台活動の一方、映画にも初出演し数々の脇役をこなしたが、1940年新築地劇団が強制解散され、大船撮影所に移籍する。その後1944年に千田是也、小沢栄太郎らと共に俳優座を創設したのである。
戦後は舞台、映画とも戦前を上回る活躍を見せ、新劇界を代表する演技派として注目を集めた。一方映画出演は各社にまたがり、60年代までに330本を数える。
『用心棒』『秋刀魚の味』『白い巨塔』『キューポラのある街』『夜の河』『あじさいの歌』『社長シリーズ』『クレージー映画シリーズ』『続 男はつらいよ』『獄門島』など、映画各社で、黒澤明、小津安二郎、山本薩夫、浦山桐郎、山田洋次、市川崑など巨匠、名匠と呼ばれる監督たちに起用されている。しかし、東野英治郎はそもそも舞台人である。1964年の舞台、幸田露伴作、千田是也演出の『有福詩人』、田中千禾夫作・演出の『教育』ではテアトロン賞を、68年の田中千禾夫作・演出の『あらいはくせき』では紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞している。
テレビドラマでは、1969年から引退を決意するまでの約14年にわたり、TBS系列の時代劇「水戸黄門」(第1部~13部)で水戸光圀役を演じた。初主演にして代表作となった。
黄門様一行の旅の途中には、悪事を働く商人や役人が必ずいて、イジメられている町むすめや弱い住人を助けるという単純なストーリーだ。脚本や役者のうまさによるものだろう。先は読めても毎回ハラハラドキドキさせられる。最後に「助さん、格さん、やっつけてやりなさい!」「この紋所が目に入らぬか! 控えおろう」という決めゼリフで悪人どもがひれ伏すシーンで締めくくられる。一件落着。うっかり八兵衛が、嬉しそうにお団子をどこからか見つけてくる。実に平和で安心して観ていられるドラマで、高い視聴率を誇った。
水戸光圀役は、のちに西村晃、佐野浅夫、石坂浩二、里見浩太朗に引き継がれたが、東野の黄門様は381回という最長である。最初に助さん、格さんのコンビを組んだのは、杉良太郎、横内正。杉は第2部まで演じ、3部からは里見浩太朗が助さんを演じた。最初から変わらないのは、弥七を演じた中谷一郎。中谷も俳優座養成所の4期生だった。横内正も、俳優座養成所の13期生である。うっかり八兵衛役の高橋元太郎は、第2部から参加し、元スリーファンキーズの歌手だったが、短期間で役者に変貌した。
1994年4月5日の俳優座設立50周年パーティーには杖をついて出席。同年5月の俳優座設立50周年記念ドラマ「荒木又右衛門 男たちの修羅」では加納藤左衛門役とゼネラルプロデューサーを務めた。それから4ケ月後の9月8日逝去。享年86。82年には水戸黄門役を長年演じたことが評価され、勲四等旭日小綬章を受章した。