美しい人生のあり方を
教えてくれる
知性の人
第18号に登場願ったのは、弊誌でエッセイ「箱根便り」を連載していただいていた浜美枝さん。撮影場所のシャングリ・ラ ホテル 東京に現れた浜さんは紫と白の総絞りの和服姿だった。どちらかと言えば、都会的でスマートで最新のモードを身に着けているイメージがあったが、1月1日号ということで和服にしました、とのお気遣い。恐れ入りました。お相手を務めてくださったのは、作家で環境保護活動家で、探検家のC.W.ニコルさん。ニコルさんは信州・黒姫に居を構え、環境保護活動、森の再生活動などを通じて、浜さんと親交を深めている。決して〝友だちもどき〟の関係ではない、とニコルさんは言う。「本当の友だちだと、胸を張って言えるし、浜さんと友だちでいられることは、僕にとって大いなる誇りである」と言う。浜さんからは、生活の主軸に自然が据えられているのを感じとることができ、自然から多くのことを学んでいるから本物の美意識を身に着けることができている人だと讃える。もう30年以上のおつきあいになる。
映画『007は二度死ぬ』でボンドガールに抜擢された浜さんの美しさに一目で魅せられ、初めて会ったときは、初恋の人を前にした少年のように、真っ赤な顔をして、ただうつむきながら胸をドキドキさせていたという。その憧れの思いは、この撮影でも続いていたようだ。ニコルさんは終始顔を赤らめ、はにかんだ姿はまさに少年そのもの。ダブルのスーツにネクタイといういでたちが窮屈そうだった。浜さんは当時70歳。この先、80歳、90歳のときにどんな自分でいられるのかをイメージしながら、いい出会いに心をときめかせて、人生の旅を続けていきたいという言葉に、年齢を重ねながら蓄積されたものだからこその美しさを感じとった。浜さんと時間を共有していると、自分までが美しい生活を送れるような気がしてくる。ニコルさんは本年4月亡くなられた。ご冥福をお祈りする。
天下の美女にして
大女優の登場
山本富士子さん
まさか、山本富士子さんにお会いできる日が来るなんて想像だにしなかった。それほど、女優・山本富士子という存在は高嶺の花で、日本美人の象徴だったと思う。私は子ども時代には、山本富士子をエリザベス・テーラーと重ねて見ていた。その山本富士子さんに弊誌の表紙を飾っていただけるのだ。お相手にとリクエストなさったのは、弊誌の好評連載「昭和の風景、昭和の町」を執筆していただいている評論家の川本三郎さん。早速、電話で川本さんに伝えると「えっ!」とうなったまま、しばし絶句。その無言の中に、「どうして、なぜ」という川本さんの言葉が聞えたような気がした。映画評論の専門家である川本さんにとっては、私以上に、事の重大さを感じ取られたに違いない。なにしろ表紙である。「私が天下の美女の横にいていいんでしょうか」「洋服を買わなきゃ」「床屋に行かなきゃ」と、初めてのデートを前にした少年のようだった。
お2人はインタビューやトークショーで面識があり、そのときの川本さんとの時間が大女優の心にしっかりと刻まれていたのだ。少女時代のこと、戦後のこと、亡き夫・山本丈晴さんのこと、映画『夜の河』のこと、小津安二郎監督との楽しいエピソード、京マチ子さんとの交流などなど、話題は多岐にわたった。川本さんの著作『いまも、君を想う』『マイ・バック・ページ』なども山本富士子さんは読んでいらして、川本さんは恐縮することしきりだった。撮影での山本富士子さんは、まさに〝大輪の花〟そのもので、正面を切る芝居の見事さを、生で見せられた思いだ。