観た人が自身の家族の問題を言葉にしたくなるという演劇の持つ力
「すごく身近な問題を描いていて、〝答えのない芝居〟とゼレール自身も言っていますが、3部作どの話も、こうすればよかったよねというような解決策があるわけではないんですね。その意味ではある種の演劇らしい演劇と言えるのかもしれません。つまり、観る側が鏡に映った自分を見ているかのように能動的に想像していける。舞台側から与えるだけではなくて、自分のことに置き換えて、自分の父は、母は、息子は、そして自分自身はというふうに考えながら観ることができるような作品だなと感じているんです」と言い、『Le Père 父』に出演したときの、衝撃的だったというエピソードを披露してくれた。
「観終わって楽屋を訪ねていらした多くの人たちが、芝居の感想を言う前に、いきなり告白タイムに入るんですね。実はと切り出して、私の母が、父が、祖母がと、『Le Père 父』という認知症になっていく父を描いた作品をまさに自分自身のものとして観ていたということを目の前で告白されるんです。家族の中だけで解決しようとしてあまり外部の人に話さない家族内の問題を、この作品を観たことによって言葉にしたいと思われたんですね。それも演劇の持つ力の一つだなというのをすごく実感させていただきました。みなさんの告白をうかがって、本当に認知症の人って多いんだということを感じられて、とても大変な思いをかかえながら、仕事をしたり、家事をしたりなさっていることを感じとることができたんです。
今回同時上演される『Le Fils 息子』に関しても、抱えている心の葛藤を解決できない思春期の子供たちが一定数いて、親たちは決して見放しているわけでなく、とても愛していて、子供がよくなるにはどうしたらいいのかと心から思っている。この芝居の息子に近い体験をしている子供であったり、親であったりというのは世界中でたくさんいると思うんですよね。なので、そういう意味でもフランスの現代劇ということではなく、身近にあることとしての演劇体験をしながらご覧になる方が多くいらっしゃるのではないかと思います」
子供の立場から芝居を観る人もいれば、親の立場から観る人もいることだろう。世代、立場によって、観方が違うのもこの芝居の面白さかもしれない。
「たぶん、この息子のような年頃のお子さんをもっているご両親で、子供が変化していくことに対応しきれないことに戸惑い、どうしたらいいのか、どうしたらよかったのか、とまさに答えの出ない問題を抱えていらっしゃる方たちはたくさんいらっしゃると思います。また、息子に近い年頃の人たちが観ればおそらく、息子自身でもわからない心の内に共感する部分もあるだろうし、でも客観的に見ることで、自分自身の中に気づきがあったりするかもしれない。友だち、あるいは親とでも、子供とでも誰かと一緒に観ることによって、それぞれが言葉にしたいという思いを芝居が終わった後に分かち合っていただければと思うんです。自分を知る機会になるかもしれない。そういう演劇の力というのもあるのだなということをこの3部作は教えてくれる、それがこの作品のすごさだなと感じるんです」
『La Mère 母』が家族3部作の最初に書かれた大きな意味
〝空(から)の巣症候群〟という言葉がある。子供が自立して家を出たり、結婚したりしたときに、多くの親が感じる憂鬱さ、不安になったり虚無感を覚える心身の不調を言い、子育てが終わり、子供が家を巣立っていったあたりからこの症状が出てくることが多いことからこのように呼ばれる。子供は自立し、夫は仕事が忙しくかまってくれず、夫婦生活もないに等しくなりという、そんな状況の中に『La Mère 母』の〝母〟もいる。若村麻由美は、この芝居の出演に臨み、専門家に話を聞きにいった。
「健全な精神の状態であればもしかしたら、どうにか乗り越えられるのかもしれないけれども、子供たちが巣立っていくときに、自分自身の心も体も変化する不安定な時期と重なり、空の巣症候群と呼ばれるようなことが起こるという。それらが重なることの不幸ですね。セリフにもありますが、自分の息子が自立して、たとえば誰かと出会って同棲したり、自分の好きなことをやっていく。自分の人生だから自分で決めていけばいいのよ、と本人も理屈ではわかっているんです。でも、愛する人と結婚して愛するわが子がいて、暮らしの中で365日24時間、母は休む暇なくずっと母なわけですね。母じゃない時間がないという暮らしをしてきて、自分のことは二の次にして誰かのためにやってきた人が、もう私を誰も必要としていないという現実を受け入れるには、あまりにも心も体も不安定すぎる。
そういうことが一度に起こってしまうということの、悲劇なんですが、単に子離れできなかった母親の話というには、それでは足りなさ過ぎて、夫婦の問題もありますし、社会から見て母親がやるべきというふうに、今まで思い込まされてきて、本人もそれが幸せだと思ってやってきた。日本の昭和の時代なんてみんなそうですね、父親はとにかく仕事にでかけ稼いでくるんだ、子育てをはじめ家のことは母親が全部やって、子供が非行に走ろうものなら、全部お前のせいだと言われてもなんかそうかもしれないと思っているお母さんていっぱいいると思います。そういう家族の問題みたいなものを実際、演劇で観ることによって客観的に果たしてそれはどうだったのだろうかと見つめ直すことができるのではないかと。
長年連れ添ってきた夫婦のちょっとズレている感じというのか、苦笑してしまうような面白い会話もいくつもあって、夫に対してクソ野郎なんて言葉も普通の奥さんたちはなかなか言えないと思うので、そういうところなんかは笑えるところだろうなと思います。息子との関係性というのが、『Le Fils 息子』のほうは父と息子、『La Mère 母』では母と息子の関係が描かれています。なんといってもゼレール自身がこの家族3部作の最初に書いたところに大きな意味がある気がします。それは自分自身が母から巣立ったときの母への思い、あるいは母への後悔と言っていいのかな、それが彼の中にあって、それがこの戯曲を書かせたんですね。これを書いたからたぶん、家族というものをフィーチャーして書くようになったのかもしれない、そのきっかけとなる作品ですね。なので、母世代の人にとってはもちろん〝ある、ある〟だし、「わかる、よくぞ言ってくれた」というセリフがいっぱいあります。
実は男性たちがこの3部作の中で一番気になるのが『La Mère 母』だとおっしゃるのですが、それはなぜかというと、母から生まれているから。みんな母から生まれているので、この息子と母の関係というのを、すごく興味深く、ご覧になると思うんです。もちろんまだ、芝居を観ていただいてはいないのですが、台本を読んだときの感想として、『母』が一番気になると言われてびっくりして、なんでだろうとよくよく考えてみたら、もともと作家が母を思って書いた本なので、リアリティがある。母はあんな思いをしていたんじゃないか、こんな思いをしていたんじゃないか、というので書かれた作品なんですね」