それから三十六年がたった今でも、時折どこかのメディアが思い出してくれるドラマを一緒につくれたことは私の大きな喜びであり誇りでもある。
そのあとは図に乗って、いくつもの作品をお願いすることになった。はじめて芝居の脚本を書くことになった時も八千草さんにすがった。これが『ラブ』というスワッピングの話で、しかし自分では「よくあるやつ」とは全然違うと思っていて、もし断られたらしゃべりまくろうと身構えていたが、なにもおっしゃらずに引受けて下さった。大当りで再演もあり、全国を回っていただいた。
別の芝居の時だったが、初日の幕が揚がる寸前の袖で八千草さんに出会ってしまったことがある。そんな時に用もないの脚本家が舞台裏をウロウロしているのは普通ではないが、なにか今更手後れでしかない事で情緒不安定になっていたのかもしれない。
突然、ポツンと八千草さんが立ってらした。
幕あき寸前だから、スタッフや他のキャストもいたはずだが、私にはポツンと一人でいらしたというイメージが消えない。
「あ」と私は急に間近の八千草さんに気がついて、「初日って、ほんと、ドキドキしますね」といった。
「ほんと、ドキドキするわね」
それだけで私はもう客席(いつも自作は一番後ろで見ることにしていた)に急いでいた。急ぎながら、ちっともドキドキしていない八千草さんに感嘆していた。いや、ドキドキしていないのではない、初日の主役がしていないわけはないだろうが、そんな不安や心配は当然のことと飼いならして、むしろ演技の助けに変えてらっしゃるのだと感じた。ヴェテランなのだ。なにしろ宝塚からである。
「ほんとドキドキするわね」と穏やかに私に合わせてくれたけど、そのドキドキは、私如きのドキドキとは、厚みがちがうのだった。ポツンと立っていらしたけれど、そのポツンは当然ながら新人のポツンではなく、歳月を重ね、多くの経験や感情をぎっしり秘めた上でのポツンで、その何気ない静けさに、じわりと成熟を感じた。なにしろ、もうすぐ幕が揚がり、勝負に出る寸前だったのである。肝が据わっているなあ、とたちまち劇中の人になってライトを浴びた八千草さんを見ながら感嘆していた。
昔、高峰秀子さんがいってらしたのを思い出す。文章か発言かは忘れたが、いわゆる分かりやすい美人ではない杉村春子さんだと名演技とほめられるところが、自分はスターになってしまった美人なもので、同じくらいの演技をしてもなかなかうまいといってもらえないという嘆きだった。思い切ったことをいうものだと気持がよかった。
八千草さんにもそういうところがあると思う。「演技派」などという言葉で飾られることは少ないのではないだろうか。しかし、実際はまぎれもない演技派で、たとえば地人会公演の翻訳劇『階段の上の暗闇』『花咲くチェリー』など、美女であることは損かもしれない舞台での輝きも忘れられない。
強い人だと思う。
かつて、犬と長々と暮している喜びを書いたエッセイで、本当は馬と、更にライオンや狼の子どもと暮せたら嬉しいけど、現実には無理だから大型犬にしているということだった。猫は一言も出て来ない。胸を張って背筋をのばして御自分を維持してらっしゃるんだと思う。
「いちばん綺麗なとき」というドラマを八千草さんで書いたことがある。今から十四年ほど前のことだ。八千草さんは六十代でいらした。何人かの人から茨木のり子さんの詩「わたしが一番きれいだったとき」というタイトルの盗用ではないかといわれたが、無論そんなことはない。茨木さんからなにかいわれたというのでもない。茨木さんの御作は御自分の若かったころ、たぶん十代から二十代にかけての御自分とその時代を主題にした作品で、私のは八千草さんの(そして加藤治子さんの)六十代の現在を描いたもので、昔は綺麗だったという話ではない。その六十代が、いちばん綺麗なのではないかという話だった。若さの愚かさも、情念の荒々しさも鎮(しず)まり、人の悲しみも身勝手も分り、それでも尚、新しい他者との結びつきを諦めない静かな物語を書いてみたかった。
その美しさは十代二十代の美しさのように分りやすくピカピカではないが、感じようによっては、人生でいちばん美しいころといえるのではないか、とまだ枯れていない老境を描こうとしたものだった。それにしても、こんな強引な思い込みをドラマにしようとしたのは、八千草さんの美しさがあってこそだった。
十代二十代だけ美しいなんて世を偽(いつわ)るものだといったことがある。自分を棚に上げてよくそんなことをいえたもんだとはずかしいが、私を含めて多くの人々のそのような変化のなかで、八千草さんは会うたびに美しい。変わらないというのではない。その齢その齢を自然に受けとめて変ってらっしゃるのだが、ジタバタしていないのがいいのだろう。
先日も久しぶりでお目にかかったら、九十八歳で第一詩集を出した柴田トヨさんの映画で、その人を演じて来たばかりとのことだった。
「それは、かなり相当老けなければなりませんね」というと「そうなの。分からなくて」とからりと笑ってらした。
清純派? ああ、そうかもしれないなあ、と今となって納得するような気持が湧く。人間のあるべき水平を、みんなのために維持してくれているような──とてもとても代りがいない人なのである。
八千草薫
女優。大阪府出身。1947年に宝塚歌劇団入団。51年『宝塚婦人』で映画デビュー。以後、映画、『宮本武蔵』『蝶々夫人』『男はつらいよ 寅次郎夢枕』『田園に死す』『阿修羅のごとく』から最近の『ディア・ドクター』『日輪の遺産』『ツナグ』『舟を編む』、舞台『二十四の瞳』『細雪』『女系家族』『華岡青洲の妻』『黄昏』『早春スケッチブック』、ドラマ「銭形平次」「うちのホンカン」「前略おふくろ様Ⅱ」「岸辺のアルバム」「阿修羅のごとく」「ちょっとマイウェイ」「茜さんのお弁当」「あめりか物語」「シャツの店」「拝啓、父上様」「ありふれた奇跡」、最近では「歸國」「テンペスト」「最高の離婚」「母。わが子へ」と現在にいたるまで常に第一線で活躍を続ける。菊田一夫演劇賞、テレビ大賞優秀個人賞など多くの受賞歴があるが、21世紀になっても多くの映画賞に輝いているのは現代を代表する女優の証だろう。97年紫綬褒章受章、03年旭日小綬章受章。 2019年10月24日逝去、享年88。
山田太一
脚本家、作家。1934年東京浅草生まれ。58年早稲田大学国文学科卒業後、松竹大船撮影所演出部に勤務。木下惠介監督の助監督を経て、65年フリーの脚本家となりテレビ史に残る数々の作品を手がける。「3人家族」「藍より青く」「それぞれの秋」(テレビ大賞)「岸辺のアルバム」「沿線地図」「あめりか物語」「獅子の時代」「想い出づくり」「男たちの旅路」「ながらえば」「(以上2作で芸術選奨文部科学大臣賞)「夕暮れて」「ふぞろいの林檎たち」「日本の面影」(向田邦子賞)「シャツの店」「ありふれた奇跡」などドラマの他、舞台でも『ラブ』『黄金色の夕暮』など話題作がある。山本周五郎賞受賞の小説『異人たちとの夏』の他多数の著書がある。85年菊池寛賞、92年毎日芸術賞他受章歴多数。