ところが、1980年代あたりから、いわゆる製作委員会方式と呼ばれる日本独特の組合のシステムになってからは、「著作権者」が誰なのかがあいまいになってきている。これは製作委員会そのものが悪いのではなく、システムや運営に問題がある。
ぼくが初めて製作に参加した『南極物語』(1983)も初期の製作委員会方式だった。10億円規模の製作費をフジテレビと学研が折半することで、お互いリスクヘッジをする目的は一致している。地上波であるフジテレビ、出版社である学研、ともに映画製作のプロではない。むしろ、初チャレンジと言える。一方、企画を持ち込んでくれた蔵原プロダクション(兄の蔵原惟繕監督と弟の蔵原惟二プロデューサーの制作会社)は映画のプロである。この2人がいなければ『南極物語』の映画化はなかったのである。
製作出資金は2社であるが、現物出資の形(労働対価とも言うべきか)で蔵原プロダクションが10%の出資とみなし、権利の10%を取得する形になったのは、今から考えると良いことだったと考える。仮に、全体の権利を100とすると、フジ45%、学研45%、蔵原プロ10%である。当時興行収入100億円を超えるヒットになったので3社ともに恩恵があった。配給や宣伝を行った日本ヘラルド映画(当時)と東宝は配給手数料が主な収入だった。東宝系の劇場も潤ったことになるが。日本公開時には勢いのあったフジテレビの電波宣伝と、「科学」「学習」など生徒らにも信頼のある学研の宣伝、動員力が合わさり、大きなヒットに結び付く。そして蔵原プロの制作力が加味され、最も良い形の製作委員会だったとも言える。













