『ヤンヤン夏の想い出4K』は現在、全国で上映中だ。最初に4K化をやりたいと思ったのは5年以上前である。日本よりも海外の評価が高まり、2000年以降の世界のベスト10映画の上位に選ばれるようになり、2023年にはアメリカの「Hollywood・Reporter」の批評家が選ぶ21世紀のベスト50の1位に選ばれた。エドワード・ヤン監督の『クーリンチェ少年殺人事件』(1991)などが4K化された中で、遺作でもある『ヤンヤン』がBlu-rayもなくDCPもない。日本側が100%権利を持っているのにも関わらずであり、ぼくはプロデューサーである。ただ、4K化の費用は、ビデオがほとんど売れなくなった今、経費負担は大きい。しかも、「製作委員会」は25年が経ち、当時の担当者もほぼいない状態。
今回、国内で公開時よりも大きい形で上映、また台湾や韓国はじめ、世界中での上映もスタートできた。ポニー、オメガプロジェクト、博報堂には感謝である。幸い、エドワード・ヤン監督のAtom Film社と日本側との契約に、映画祭出品(今回はカンヌ映画祭と東京国際映画祭で上映)や、映画の完成後の作業・運用に関してプロデューサーの河井真也がメインで行う等、との条項があった。監督が亡くなっていることもあり、ぼくが監督の代理的に映像のチェックもした。それでもプロデューサーが製作委員会の会社の社員であったりすると決定権の所在はあいまいなところも多い。


映画製作は、本や絵の制作より金銭がかかる。出資者がいなければ実現化しない。しかし、出資者=著作権者となって、勝手に画の改訂を行えることにはならないはずである。
やはり「著作権法29条」の製作者はプロデューサーおよび、クリエイティブにも責任を持つ人間が該当すると思う。その為にもプロデューサーはより一層の作品のクオリティと、クォンティティ(ビジネス)を追求していかなければいけないのだろう。
かわい しんや
1981年慶應義塾大学法学部卒業後、フジテレビジョンに入社。『南極物語』で製作デスク。『チ・ン・ピ・ラ』などで製作補。1987年、『私をスキーに連れてって』でプロデューサーデビューし、ホイチョイムービー3部作をプロデュースする。1987年12月に邦画と洋画を交互に公開する劇場「シネスイッチ銀座」を設立する。『木村家の人びと』(1988)をスタートに7本の邦画の製作と『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)などの単館ヒット作を送り出す。また、自らの入院体験談を映画化した『病院へ行こう』(1990)『病は気から〜病院へ行こう2』(1992)を製作。岩井俊二監督の長編デビュー映画『Love Letter』(1995)から『スワロウテイル』(1996)などをプロデュースする。『リング』『らせん』(1998)などのメジャー作品から、カンヌ国際映画祭コンペティション監督賞を受賞したエドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)、短編プロジェクトの『Jam Films』(2002)シリーズをはじめ、数多くの映画を手がける。他に、ベルリン映画祭カリガリ賞・国際批評家連盟賞を受賞した『愛のむきだし』(2009)、ドキュメンタリー映画『SOUL RED 松田優作』(2009)、などがある。2002年より「函館港イルミナシオン映画祭シナリオ大賞」の審査員。2012年「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」長編部門審査委員長、2018年より「AIYFF アジア国際青少年映画祭」(韓国・中国・日本)の審査員、芸術監督などを務めている。また、武蔵野美術大学造形構想学部映像学科で客員教授を務めている。












