その悲しい知らせを目にしたのはNHKのニュースだったと思う。2018年5月16日午後11時53分、急性心不全のため横浜市内の病院で西城秀樹が帰らぬ人となった。一瞬狐につままれたような気がした。脳梗塞を発症したが、多少会話に不自由があるもののテレビで歌う姿を見たのが昨日のことのようだった。
忘れていた元気な頃の西城秀樹(以下ヒデキ)が走馬灯のように蘇ってきた。
野口五郎、郷ひろみとともに新御三家と言われ、小、中学生の頃テレビで見かけない日はなかった。よく3人の中で誰が好きかと話題になったが、私はどちらかと言うと〝ひろみ派〟だった。エネルギッシュで、体の底から絶唱するヒデキはテレビの画面からはみ出してしまいそうなくらい熱く、とても遠い存在だった。
しかし、今になってヒデキが特別なスターだったことがよくわかる。彼の遺したものは大きかった。今では珍しくないが、スタジアムでのコンサートを最初に開催したのはヒデキだった。日本武道館でソロ歌手として初めてのライブ、富士山麓での野外コンサートや、ペンライトを振るファンと一体になったコンサート。ゴンドラの宙づりなど、ヒデキのステージは斬新だった。香港や韓国などアジアへの進出も早かった。1987年には中国にも進出、北京では2万人収容の会場が4回満員になったという。
訃報から10日後の5月26日、青山葬儀所で行われた告別式の模様がテレビでも映された。野口五郎と郷ひろみの弔辞、多くの芸能人のコメントもあったが、胸を打たれたのは沿道を埋め尽くすファンの姿だった。多くは喪服を纏い「ヒデキ!」「ヒデキ!」と連呼する。その姿に思わずもらい泣きしてしまったのだ。
出棺の時流れていたのが「ブルースカイ ブルー」だった。「ブルースカイ ブルー」は、1978年8月25日リリースの26枚目のシングルだ。作詞・阿久悠、作曲&編曲・馬飼野康二による。私が唯一買ったヒデキのドーナツ盤だった。秋の空を見上げるとこの曲を思い出していた。当時ヒデキは23歳。それまでの激しいアクションのボーカルスタイルとは異にしたバラード曲で、ゆったりと穏やかに歌い上げるヒデキの歌声はどこまでも優しく包まれるようだった。道ならぬ恋に走った若者の愛と別れを歌ったのだが、後ろめたいイメージは全くない。オーケストラをバックに、ヒデキの歌唱力があったからこそ、爽やかに壮大な世界を作り上げることができたのだろう。愛する女性と秘めた暗闇の世界に閉じこもっていた若者が、それぞれの道を歩むことに決めた日の空は眩しいほど青かった。そんな情景が目に浮かぶ。