2023年夏の暑さが異常だっただけに、10月半ばを過ぎた朝夕の凌ぎやすさは格別だ。虫の声が嬉しいし樹木の彩りと落ち葉も秋の気配を知らせてくれる。ふっと、童謡「ちいさい秋みつけた」を口ずさみ三番の詞までよみがえる。「はぜの葉」が風見鶏のとさか(鶏冠)にひとつ、と詠んだ詩人、作詞家・サトウハチロー。はぜの葉の秋はまさに落日のような朱の「入日色」になる。文京区向ヶ丘弥生町の仕事部屋から、はらりと落ちるはぜの葉にちいさな秋をみつけたサトウハチローにあやかろうと、東京・後楽園駅の北側に隣接する礫川(れきせん)公園に出掛けてみた。旧宅は岩手県北上市に記念館として移築され、庭のはぜの木は、2001年(平成13年)ここに移植されている。残念ながら朱色に染まるまで間があったが、樹齢約90年を経て枝は大きく鬱蒼とした広がりを見せ、紅葉直前と思われる葉は黒ずんでいた。
サトウハチロー作詞「ちいさい秋みつけた」のしみじみとしたセンチメンタルな童謡を初めて聴いたのは、男声ボーカルグループの〈ボニージャックス(BONNY JACKS)〉の歌唱によってNHKテレビで放送された「みんなのうた」(1962年10月~11月)だったか。その後同じ「みんなのうた」で1972年10月~11月、1982年10月~11月と10年ごとに映像を変えながら放送されている。恐らくレコードが手元になくても忘れられない歌になっていったに違いない。
じっと耳を傾けてみると、「誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが…」、「ちいさい秋、ちいさい秋、ちいさい秋…」と、3回繰り返しながらベースからトップ・テナーまでのコーラスが美しく優しく温かいハーモニーとなって胸に迫ってくる。作曲の中田義直は初めから合唱のために曲作りしているように聴こえるが、1955年にNHKの特別番組『秋の祭典』の楽曲の1つとして発表されたときは女性ボーカルのソロだった。番組限定の曲だったためしばらくレコード化はされず7年を経て、シングルのリリースではなく、LP盤『サトウハチロー童謡集』(1962年4月10日、キングレコード)に収められ発売された。「みんなのうた」放送後に楽譜が欲しいという反響が多かったといい、童謡という枠を超えて大ヒットしたのだった。いきなりその年の末「第4回日本レコード大賞」の童謡賞を受賞しているし、1965年以後、小学校・中学校・高校の音楽の教科書にたびたび掲載されてきた。昭和から平成へ、そして令和の時代も日本人の心に根ざしてきた童謡として歌い継がれてほしいと願っている名曲である。「日本の歌、百選」にも選定されている。
筆者は本欄で慶応義塾大学のワグネルソサエティーから1951年(昭和26)誕生した〈ダークダックス〉の「銀色の道」を紹介したばかりだが、ほぼ同時代に活躍したボニージャックスのハーモニーも忘れられない。早稲田大学の男声合唱団グリークラブのメンバー4人で立ち上げたのが1958年(昭和33)。ダークダックスの後を追うこと7年後である。その間1955年(昭和30)にはデューク・エイセスが誕生していて、ことさら〝歌の早慶戦〟を煽るつもりはないが、先陣を切ったダークダックスに引けも劣らず、〝歌の伝道師〟と呼ばれるボニージャックスもまた昭和30年代のお茶の間の歌番組に欠かせないコーラス・グループだった。確かにライバル同士だったが、互いに切磋琢磨しながら歌に向かう彼らの真摯な姿勢は、今でもしっかりと焼きついている。