1968年から70年頃、芸能界では浅丘ルリ子旋風が巻き起こっていた。その時期の浅丘ルリ子の映画出演作といえば、68年には、石原裕次郎と小林旭の数少ない、そして2人の最後の共演作であり、加えて高橋英樹も出演していた『遊侠三国志 鉄火の花道』、裕次郎はじめ、英樹、和泉雅子、浜田光夫ら日活スターに加え、東宝から浜美枝を迎え、さらに、中村嘉葎雄、岡田英次、佐藤慶、島田正吾、辰巳柳太郎ら豪華俳優たちの共演も話題になった娯楽大作『昭和のいのち』、加山雄三が若大将とはまったくタイプの違うハードボイルドなスナイパーを演じルリ子との初共演もメディアを賑わわせた『狙撃』に出演。
69年には、旭、英樹、渡哲也、宍戸錠ら日活の人気スターが揃った『地獄の破門状』、大映の増村保造監督の指名による初手合わせが話題になった『女体』、浦山桐郎監督作『私が棄てた女』、五社英雄監督がメガホンをとり、仲代達矢、中村錦之助(後に萬屋錦之介)、丹波哲郎、司葉子らスター俳優共演が実現した大作時代劇『御用金』、裕次郎がサファリラリーに挑戦するレーサーを演じ、フランスの俳優たちとも共演した『栄光への5000キロ』。そしてルリ子が最新のモードを着こなす『華やかな女豹』では、70年の邦画五社の正月映画で唯一の女性主演を務めている。
68年には、テレビドラマにも意欲的に出演し、NHK大河ドラマ「竜馬がゆく」では北大路欣也扮する坂本竜馬の妻・おりょうを演じ、演出の和田勉から絶賛されたのをはじめ、山口崇、関口宏らと共演した「流れる雲」、高橋悦史、細川俊之、竹脇無我、高峰三枝子、山形勲ら共演の「水色の季節」と、立て続けに連続ドラマに主演している。この2作では、主題歌も歌っている。そして、後にテレビ大賞に発展する第1回1968年週刊TVガイド賞の主演女優賞に輝いた。ちなみに主演男優賞は「ザ・ガードマン」の宇津井健で、2人で「週刊TVガイド」の表紙も飾っている。助演女優賞は長山藍子、助演男優賞は山口崇という京塚昌子主演の「肝っ玉かあさん」で共演していた2人だった。
さらには、68年度ゴールデン・アロー賞の大賞にも輝き、69年にはゴールデン・アロー賞グラフ賞と2年連続の受賞となった。そんな〝ルリ子ブーム〟のさなか、リリースされたのが「愛の化石」だった。それまでにも、主演映画『丘は花ざかり』の主題歌や、裕次郎とのデュエットによる「夕陽の丘」なども、リリースしているが、「愛の化石」は、それまでの楽曲とはかなり毛色が違っていた。なにしろ、曲のほとんどが語りで綴られており、語りの合間に歌が入るという構成だったのだ。にも拘わらず、70万枚を超える大ヒット曲となり、オリコン・シングルチャートでも最高位2位のセールスを記録している。ルリ子の「愛するって耐えることなの」という語りは流行語のように多くの人々に使われていた。
当時、僕は中学3年だったが、レコードを買ってしまった。学年誌と呼ばれる学習雑誌があって、旺文社からは「中〇時代」、学研からは「中〇コース」というものが出版されていた。その「中三コース」の中での、「中学生にとっての有名人は誰?」といったアンケート調査で、政治家、文化人、学者、作家、ミュージシャン、スポーツ選手、俳優たちの中から、1位に輝いたのが、当時読売巨人軍の王貞治と、浅丘ルリ子だった。〝ルリ子ブーム〟は中学生にも浸透していたのだ。
その他の曲も聴きたくなって、その後にリリースされたアルバム『浅丘ルリ子のすべて 心の裏窓』までも買ってしまった。このアルバムの装丁は横尾忠則だった。当時、テレビ各局で連日のように放送されていた、ランキング形式の歌謡番組にも、毎週のように出演し、華麗なファッションを披露していた。69年に、日本テレビ系列で放送されていた「サンデーナイトショー」というトーク&音楽バラエティ番組があった。永六輔と岸田今日子が司会を務める、かつての「夢であいましょう」を連想させる大人好みのバラエティ番組で、長嶋茂雄や、石原慎太郎&裕次郎兄弟、渥美清らがトークのゲストに出演していた。その番組の中で「浅丘ルリ子の部屋」というコーナーがあり、毎回、竹脇無我、北村和夫ら俳優をゲストに迎え、ルリ子が〝女の口説き〟を演じるというもので、ファッションも話題になっていた。