原作となる近松門左衛門の浄瑠璃の戯曲を初めて目にしたのは、中学時代の古典の授業だった。教科書には「新口村」の件が載っていた。その前に内田吐夢監督の映画『浪花の恋の物語』で、梅川・忠兵衛の話は知っていた。忠兵衛を中村錦之助(後に萬屋錦之介)、梅川を有馬稲子という後に夫婦になる2人が演じていた。僕が、近松門左衛門の戯曲に興味を持ち始めるきっかけになった映画である。だから、蜷川幸雄演出の舞台『近松心中物語』は複数回観た。
忠兵衛は梅川を身請けするために、その場の成り行きと男の意地から客から預かっていた公金の封印を切ってしまう。もちろん重罪である。請け出した梅川と一緒に、実父が住む大和国新口村へと、死を覚悟した逃避行。むろん追っ手がかかる。初演で平幹二朗が演じた忠兵衛と太地喜和子が演じた梅川の死への道行である。雪がしんしんと降り積もる。そこに、森進一の「それは恋」が重なる。ギターの爪弾きのイントロが流れると観ている僕の感情もクライマックスへと走り出す。大量の雪、梅川の首に巻きつく緋色の布、絞め殺しながら「可愛い、愛しい」と叫ぶ忠兵衛の悲しみと身を任せる梅川の美しさ。秋元松代のすばらしい歌詞、そして森進一の義太夫の語りのような絞り出す声。最高のクライマックスだった。
その後、忠兵衛と梅川は坂東八十助(後に坂東三津五郎)&樋口可南子、坂東八十助&高橋惠子、平幹二朗&富司純子、平幹二朗&高橋惠子、阿部寛&寺島しのぶらが演じている。寺島は、初演で市原悦子が演じたお亀役も演じている。また、ベルギー、イギリス公演では井上倫宏と田中裕子による組み合わせだった。
2001年の紅白歌合戦で、森進一は「それは恋」を歌唱しており、その年の舞台で忠兵衛&梅川を演じた平幹二朗と高橋惠子が、森が歌う後ろで芝居をするという演出がとられていた。
蜷川幸雄が亡くなった後も、いのうえひでのり、長塚圭史による演出で上演されている。いずれも、心に刻まれるいい芝居だったとは思えるのだが、森進一が歌う「それは恋」が流れてこないと、僕のなかでのクライマックスは訪れてこなかった。ミュージカル以外で主題歌が、ここまで芝居に深く影響した舞台を僕は知らない。そういえば、蜷川幸雄は『元禄港歌-千年の恋の森-』では美空ひばりに主題歌を歌わせ、『にごり江』では宇崎竜童に劇中歌「十六夜小夜曲」を歌わせている。そのほか、バッハやヘンデル、ロックなどジャンルを問わず、蜷川の舞台では、音楽は欠かすことのできない蜷川美学を構成する大切な要素となっている。今改めて蜷川幸雄演出版の舞台『近松心中物語』に流れる森進一の「それは恋」に、思う存分酔ってみたい。
文=渋村 徹 イラスト=山﨑杉夫