25.06.26 update

細川たかしのレコード大賞受賞曲のオリジナルとして、事実上の引退から33年を経てなお根強い人気を誇る〝伝説〟と呼ばれる歌姫の圧巻の表現力 ちあきなおみ「矢切の渡し」

 「酒場川」のB面「矢切りの渡し」が日の目をみるのは、大衆演劇のスター梅沢富美男が舞台での舞踊演目に用いたことによる。話題となりコロムビアから82年にシングルA面「矢切の渡し」が再リリースされることになった。ちなみにB面は同じく船村徹作曲でかつて春日八郎が歌って大ヒットさせた「別れの一本杉」。ちあきなおみは、藤圭子同様〝男歌〟が巧い歌手でもあった。

 ところが、ちあきが当時ビクターに移籍していたこともあり、83年に細川たかし盤がリリースされた際に廃盤になってしまった。その後、細川バージョンはミリオンセラーとなる売れ行きを記録し、その年の日本レコード大賞受賞曲とまでなった。オリコン週間チャートでは、ちあき盤は57位だったが、細川盤は週間1位を記録し、年間でも2位という売れ行きで、TBS「ザ・ベストテン」でも83年度年間1位だった。前年に「北酒場」でも大賞を受賞していて、当時レコード大賞史上初の2年連続大賞受賞歌手となった。だが、有線放送チャートでの1位はちあきバージョンだった。

 作曲者の船村徹は「ちあきの歌は手で櫓を漕ぐ渡し舟で、細川の歌はモーター付の船だ」と、それぞれの歌の質を語っている。確かに楽曲のイメージは手漕ぎの舟である。梅沢富美男もちあきの歌い方だったからこそ、舞踊の演目にしようというイメージが膨らんだに違いない。細川の歌声からも、同じようにイメージしたかどうかはわからない。だが83年の紅白で、細川たかしが初の大トリで男泣きで歌う「矢切の渡し」に合わせて、「夢芝居」で初出場していた梅沢富美男が女形の舞を披露している。ちなみに紅組のトリは、出場19回目にしてやはり初のトリとなった水前寺清子が務めている。

 さらに船村は、ちあきの歌は細部まできっちりと聴かせる鑑賞用であるのに対して、細川の歌い方は美声であるが一本調子な感じで、カラオケなどで誰でもが歌えると思わせてしまった、とも言及している。細川バージョンのレコードの大セールスはその辺りも影響しているのかもしれない。いずれにせよ、それぞれに味わいがあり、確かな歌唱力がないと歌えない歌であることには間違いないだろう。ただ、道行の男と女の感情を鮮やかに歌いわけて魅せたちあきなおみの卓越した表現力が、船村徹をして〝観賞用〟とまで言わしめたのだろう。

 表現力と言えば、映画やテレビドラマでもちあきなおみは女優として確かな爪痕を残している。映画『居酒屋兆治』、『瀬戸内少年野球団』、テレビドラマ「くるくるくるり」、「松本清張スペシャル・わるいやつら」、「國語元年」、「かあちゃんは犯人じゃない」などが思い出される。

 なかでも鮮烈に記憶に残っているのが。久世光彦プロデュース・演出による「ちょっと噂の女たち・黒田軟骨の女難」だ。伊東四朗主演で、各回いしだあゆみ、夏目雅子、八千草薫、岸田今日子、加藤治子ら魅力的なヒロインをゲストに迎えた82年放送の10回連続ドラマで、ちあきなおみもレギュラー出演していた。久世プロデユーサー曰く、ちあきなおみが歌う演歌をテーマ曲として作った洒落た人情噺。各回ちあきなおみが生ギター演奏で歌を披露するというなんともぜいたくな劇中歌で、美空ひばりの「悲しい酒」、三橋美智也の「おんな船頭歌」、藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」、こまどり姉妹の「浅草姉妹」、大下八郎の「おんなの宿」、西田佐知子の「東京ブルース」などに加えて自身の「矢切の渡し」も披露している。


 2014年発行の弊誌「コモ・レ・バ?」第20号での、「村松友視の私小説的昭和歌謡曲」という特集で、作家・村松友視(視は正確には示に見)さんはちあきなおみにも触れ、「……いつしかカムバックするとの期待を捨てることのないちあきなおみファンは今も多い。芝居心のからむ歌も数多くあり、レコードやCDで楽しむには事欠かないが、ちあきなおみの今の表現を聴きたい、見たいという希いが消えやらず、宙空に心もとなくさまよっているかのごとくだ。……その思いは、ジャンルの垢に染まることのない、歌謡曲の底力を求める心根から発しているはずなのだ。そして、その在りかたへのなつかしさは、今日の歌謡界への欠落感と無関係ではなかろう」と記している。

 この言葉に深く共感する歌謡曲ファンは多いに違いない。ちあきなおみが現在の表現で「矢切の渡し」を歌ったら……。

文=渋村 徹 イラスト=山﨑杉夫




 

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