◇昭和の少女たちの夢を叶えてくれた
『111年目の中原淳一展』の会場に入ると、いつもの中原さんの言葉が短冊で吊り下げられていることに気付いた。
「日本中の人が、昨日より今日の方が少しでも美しくなったとしたら日本は昨日より今日の方が美しい国になるわけです。そして、今日よりも明日がもっと美しくなれたら、日本中はまたずっと、素晴らしい、美しい国になるでしょう」
「いつも明るい微笑みをたたえている人でありたい。それはきっと人の心を和ませ豊かな気持ちで包み、したがって愛されもする結果にもつながるのだ」
今日よりも明日がもっと美しくなれたらという日本の少女たちの夢を、中原さんはしっかりと受け止めて、表紙画やファッションを考えていたことが、会場に展示された、ゆかた、インテリアなどから、とても暖かく伝わってくるのだった。ひまわりの藍地のゆかたをみていると、夏にそれを着て歩いている少女の姿が浮かんできた。1956年の製作のものだという。『ひまわり』刊行後に、『ジュニアそれいゆ』が刊行されていた。ぜいたくな着物よりも、少女にはゆかたが似合うと中原さんは思われていたようである。ゆかたには、夢はすぐ間近にある、今日が美しく、明日はもっと美しくなれるという中原さんの願いが込められていた。
アップリケが施されたフレアースカートも展示されていた。やはり、ゆかたと同じころのものである。そのころには、私も小学校に入学していた。知り合いの年上のお姉さんから、果物がアップリケされたフレアースカートを、お下がりでいただいた。可愛くて、とても嬉しかった。アップリケには、長く着ていたものの破れを隠すという利点もあるようである。それが一寸したアイデアで、夢のあるスカートに変身してしまうのだった。そうやって、昭和20年代の少女たちに夢を与えていた仕事が、昭和30年代の少女たちにもしっかりとつながれていたこともわかった。