シリーズ わが昭和歌謡はドーナツ盤
12月になると、普段にも増して大滝詠一の曲を聴きたくなる。ちなみに大瀧詠一と表記したほうがいいのかもしれないが、レコード・ジャケットに準じて、ここでは大滝詠一と表記する。大滝がいなくなって間もなく丸10年になる。2013年12月30日だった。享年65。あまりにも早すぎる突然の死だった。悪い冗談だと思った。悔しかった。盟友だった松本隆が自身のTwitter(現・X)で、大滝が作曲し、松本隆が作詞を手がけた「さらばシベリア鉄道」にかけて、追悼の辞として「北へ還る十二月の旅人よ」を捧げたとき、頭の中には「さらばシベリア鉄道」のイントロが鳴り出し、僕は泣いた。今、そのときのことを思い出しながらこの原稿を書いていても、涙腺が緩んでくる。
今や伝説として語られるバンド<はっぴいえんど>が現れたのは1970年だった。半世紀以上も前のことである。メンバーは、細野晴臣、鈴木茂、松本隆、そして大滝詠一。僕が大滝を知った最初である。斬新な〝日本語ロック〟を生み出したバンドとして、その後の日本音楽界に多大な影響を与え、今も多くの人々の記憶にその名は刻まれている。活動期間はわずか3年で、『はっぴいえんど』『風街ろまん』『HAPPY END』と、3枚のアルバムをリリースしている。地方の高校一年だった僕にとって、それまでとは全く違うイメージで、都会を感じさせてくれるアルバムだった。
その後、僕が大滝詠一と出会うのは、大滝が設立した<ナイアガラ・レーベル>のエッセンスのサウンドが詰まった81年3月にリリースされたアルバム『A LONG VACATION』だ。正確に言えば、それ以前の80年11月に太田裕美に提供された楽曲「さらばシベリア鉄道」はもちろん聴いていた。そして、僕は『A LONG VACATION』に背中を押されながら、大学を入り直すために81年4月に上京した。
松山千春の「長い夜」の項で、少し触れたが、大学入学直後に出会った先輩は、音楽サークルに所属していて、練習のためにレンタルしていたスタジオに遊びに来いよと誘われて出かけたことがあった。彼らが練習していた楽曲の数曲は大滝詠一の曲だった。
「君は天然色」「恋するカレン」「カナリア諸島にて」などを先輩たちは練習していたと記憶している。さすが、東京の大学生は情報をキャッチするのが速いなと、妙な感心の仕方をしたことを憶えている。いずれも『A LONG VACATION』に収録されている曲で、アルバムでは全10曲中9曲の作詞を松本隆が手がけている。この中には太田裕美に提供した「さらばシベリア鉄道」の大滝自身によるセルフ・カバーも収録されている。81年の夏にはオリコン・アルバムチャート2位を記録する売り上げで、年末の日本レコード大賞では、ベストアルバム賞を受賞している。そして、同年10月には、ナイアガラ・トライアングル「A面で恋をして」との両A面でシングル・カットされている。