本作のイルディコー・エニェディ監督は言う。「私の意図は、観客が映画館から出ていくときに、映画にある種の最終的な説明がないようにすることです。むしろ観客がもはや最終的な説明を必要としないことを成し遂げたかった」と。しかし、筆者が試写室を出た瞬間、谷崎潤一郎の『痴人の愛』が重なった。13歳下のナオミの奔放な行動に、君子のような模範的なサラリーマンの河合譲治が狂い嫉妬心に悶える。河合は田舎者で異性との交際経験もない。結婚に夢を託していたからだ。いたって真面目な女を知らない河合と船長という仕事柄、異性を愛することに飢えていたヤコブが結婚しようと突然思い立ったことが重なるのである。
舞台は1920年のマルタ共和国。長い貨物船の航海を終えて陸に上がった船長のヤコブ(ハイス・ナバー)は、憑かれたように結婚を意識し、カフェに最初に入って来る女性と結婚すると友人に告げて賭けをすることから、この不可解なラブストーリーは始まる。初対面の若いフランス人女性、リジー(レア・セドゥ)と出会いプロポーズし結婚する。
航海中の中年船長は、男である。パワフルで有能。船の火災にはリーダーシップを発揮して火災を鎮める。しかし例えは悪いが、ひとたび陸に上がれば河童も同然で、大柄な彼がどうにも無力で心もとない。そんなヤコブだから、若く美しいリジーの妖しいまなざしや肢体に溺れるのは当然。まして長い船旅が仕事の船長には、リジーにデダン(ルイ・ガレル)という若い男が近寄れば気が気でなくなるし、仕舞には嫉妬に狂う。男は弱い。
それにしても客席にいる老いた筆者でさえ、スクリーンの女優レア・セドゥの小悪魔的な官能美に思わず唾をのんでしまう(笑)。同時に不可解なリジーの振る舞いに苛立つヤコブとナオミに翻弄される河合譲治が再び重なる! ネタばれは避けよう。言っておくが、これは三角関係を嗤うような下世話な話ではなく、不器用な男と女の「愛」の物語である。
第74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品「ストーリー・オブ・マイ・ワイフ」8月12日(金)より新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座、ユーロスペースほかで全国公開
イルディコー・エニェディ監督:長編デビュー作「私の20世紀」(89)でカンヌ国際映画祭カメラドール、「心と体と」(18)でベルリン国際映画祭金熊賞に輝いた鬼才。
レア・セドゥ:カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作「アデル、ブルーは熱い色」(13)をはじめ、「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」(21)や「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊」(21)など数々の作品でおなじみ。
配給: 彩プロ PG 12