映画監督の山本嘉次郎、という名をご記憶の向きは、団塊の世代からちょっと上の映画好きだったに違いない。筆者の記憶は、NHKのバラエティー「それは私です」の解答者で、好々爺のようなヒゲを蓄えた山本である。珍しい体験や経歴、技能、職業を持った一般人が3人登場し、「それは私です」 と名乗る。山本嘉次郎たち著名な解答者がさまざまな質問をぶつけ、〝ホンモノ〟の「私」を探し当てるクイズ番組だった。ホンモノほどトボケてみせ、ニセモノは簡単には正解されないように装い、3人3様の珍解答で笑わせた。山本は、このお茶の間の人気番組の初めからレギュラー解答者で、確か最後まで務めていたはずだ。安西愛子、池部良、中村メイコ、曽野綾子も解答者で、途中からゲスト解答者に各界の著名人が加わった。山本はどちらかというと寡黙で穏やかで紳士的でいつもニコニコしていながら、時に図星を指すような質問を発していた。
明治35年(1902)3月15日生まれ、今年生誕120年。この節目に国立映画アーカイブでは、企画上映「生誕120年 映画監督 山本嘉次郎」を開催するという。映画人・山本嘉次郎の作品はもとよりその功績をテレビのバラエティーでは知りえなかった〝映画大好き団塊の世代〟にとって、嬉しい企画である。
日本映画の黄金期を支えた山本嘉次郎は、喜劇王エノケンのミュージカル・コメディや戦後のサラリーマン喜劇、戦記物、カラー作品など、東宝が新たな挑戦をするときにその第一作を監督し、各ジャンル・領域のパイオニアとして活躍する。撮影所の重鎮でもあり、黒澤明を育て、三船敏郎を見出すなど、後の日本映画の代表的存在を送り出したことも功績のひとつだろう。現存が確認されている『青春醉虎傳』(1934)以降の代表作(21作品)が厳選されて上映、この夏、偉大な業績を振り返るまたとない機会がやってくる。(文:ライター 村澤次郎)
厳選された21作品にはニュープリントもある
山本嘉次郎は戦前にエノケン(榎本健一)と組んでミュージカル・コメディを数多く送り出した。戦後には、東宝のサラリーマン喜劇の先駆けとなる『ホープさん サラリーマン虎の巻』(1951)、『坊っちやん社員』(1954)、『續 坊っちやん社員』(1954)などで新境地を拓く。また、『天才詐欺師物語 たぬきの中の狸』[『天才詐欺師物語 狸の花道』改題](1964)では、サイレント時代の喜劇映画にオマージュを捧げて、狂騒的なまでの喜劇を展開している。
また劇映画にドキュメンタリー的タッチを導入したことも山本嘉次郎のパイオニア的な一面である。農村で仔馬の世話をする少女を描いた『馬』(1941)、少年作家の原作をもとに戦時中の疎開の苦難をテーマにした『風の子』(1949)など、取り上げられることが少なかった題材に対し、写実的なアプローチを試みた。また、『標髙8125米 マナスルに立つ』(1956)では、日本人登山隊による世界初登頂を撮影したフィルムを託され、隊員らの登頂の苦心が伝わる重厚な人間ドラマとして構成されている。
なお、『吾輩ハ猫デアル』(1936)、『風の子』(1949)、『坊っちやん社員』(1954)など9作品がニュープリントで上映される。
上映作品(21作品)
『青春醉虎傳』(1934)、『坊つちやん』(1935)、『エノケンの近藤勇』(1935)、『吾輩ハ猫デアル』(1936)、『エノケンのちゃっきり金太[総集篇]』(1937)、『藤十郎の戀』(1938)、『孫悟空』[前後篇](1940)、『馬』(1941)、『加藤隼戰鬪隊』(1944)、『明日を創る人々(1946)、『風の子』(1949)、『春の戯れ』(1949)、『ホープさん サラリーマン虎の巻』(1951)、『花の中の娘たち』(1953)、『坊っちやん社員』(1954)、『續 坊っちやん社員』(1954)、『暗黒街』(1956)、『標髙 8125 米 マナスルに立つ』(1956)、『東京の休日』(1958)、『孫悟空』(1959)、『天才詐欺師物語 たぬきの中の狸』[『天才詐欺師物語 狸の花道』改題](1964)
開催概要
企画名:生誕120年 映画監督 山本嘉次郎
会 期:2022年8月2日(火)~8月28日(日)
※本特集の休映日:月曜日および8月 5日(金)~6日(土)
会 場:国立映画アーカイブ 小ホール[地下1階]
詳しくは、HP:https://www.nfaj.go.jp/exhibition/yamamoto202207/
お問合せ:050-5541-8600(ハローダイヤル)