■佐伯祐三を変えたブラマンクとの出会い
東京ステーションギャラリーでこの1月21日より開かれている「佐伯祐三 ─自画像としての風景」展の会場で、私はとても幸せだった。絵の中のパリは、生きていた。およそ、半世紀以上も前の母の言葉通りだった。
パリの街角の靴屋《コルドヌリ》は、その他の店の絵の中でも、とびきり輝いてみえた。店の扉の前には、無雑作に靴が吊り下げられている。女物の靴が多いようにも思われるが、それはよくわからない。扉の横の棚に置かれているのは、何なのか。乱雑に描かれた中で、店の白い壁だけがやけに明るい。すいよせられるように、店の奥へ入っていきたくなるのだった。1925年、佐伯祐三が妻の米子、幼い娘の彌智子と共に初めてパリへきて一年がたっていた。この作品は、サロン・ドートンヌに入選した。
もしかしたら、佐伯祐三は、靴が好きだったのではないだろうか。その前年に描いた《立てる自画像》の絵の足許からも、そのことを感じたのである。パレットと鉛筆を持って街角に立つ絵の中の彼の顔は、すっかり汚れて削り取られていた。しかし、明らかに怒りの表情であることは、見て取れるのだった。絵筆を持つ手は、ライオンのようだ。
彼はパリへきてまもなく、画家の友人の里見勝蔵に連れられて尊敬する野獣派の画家・ブラマンクの家を訪ねた。ブラマンクは持参した佐伯の裸婦の絵をみて、「アカデミック!」と激しくののしったという。佐伯は、ひどく傷付いた。しかし、その一言が、佐伯のそれからの絵に気迫をもたらすこととなった。
いきいきとした未完といっていい《立てる自画像》は、画家としての挫折も表している。絵を通じて伝わってくる激しい怒りは、まだ画家として未熟な自分自身に向けられたものだったのだ。しかし印象的なのは、その顔や手に比べて、足許がきちん描かれていることだった。黒い大きな靴をはいていた。そのように足許がしっかりとしているということは、彼の心はあくまで絵にまともに向かっていた証明になると思う。