SPECIAL FEATURE 2020年1月1日号より
「婦人科」「讃婦人科」──。女性ポートレートを得意とした写真家秋山庄太郎はそんな異名をとった。
「美しきをより美しく」を信条とし、美しい女優たち本人が気づいていない美しさを捉えた肖像写真を撮る。
雑誌の表紙やグラビアを飾った女優は五千人をはるかに超え、生涯に撮った美女は数万人の域に。
「秋山庄太郎に撮ってもらうことが、スター女優への登竜門」と言われ、 新人女優たちは秋山庄太郎の構えるカメラの前に立つことを競うほどだった。
原節子と同時代の銀幕女優たちから始まり、本誌掲載女優のほかにも、山本富士子、池内淳子、若尾文子、浜木綿子、倍賞千恵子、栗原小巻、大原麗子、内藤洋子、夏目雅子、山口百恵、古手川祐子、黒木瞳、松田聖子、後藤久美子…… 昭和から平成の世を彩ったそうそうたる美女たちを撮りまくった。
風化したり、忘れ去られたりしてはならないフィルムと、令和にも語り継がれていくべき逸話や挿話の数々を紐解きながら、2020年に生誕百年を迎える秋山庄太郎ならではの女優ポートレートの世界を彷徨してみたい。
文=上野正人
企画協力=齋藤智志(秋山庄太郎写真芸術館主任学芸員)、上野啓佑(同学芸員) 写真提供=秋山庄太郎写真芸術館、秋山伊都子、上野紀子
大スター原節子を撮る
「秋山さんがご自分の写真集を出したいというお話をきいたのは半年も前のこと。逢うたびに『その後どうして?』 と尋ねると、『ええ、慎重に準備中なんです。まあ近いうちに……』というのが、秋山さんの決まった答えでした。それが愈々(いよいよ)完成することになって、 私は心から『おめでとう』と肩を叩きたいくらいです」
1951年、秋山庄太郎上梓の写真集『美貌と裸婦』に掲載された原節子の寄稿である。続けて、
「私のポートレートも2、3枚含まれている由、そのどれも私の好きなものばかり。殊に『湖畔秋色』は今までの私の数多いポートレートのなかでいちばん秀れているという家中の意見で、滅多に写真をねだったことのない私が、20枚ほども伸ばしていただいたほどです」(抜粋)
1935年、映画『ためらふ忽れ若人よ』を見た15 歳の秋山庄太郎は、銀幕の原節子に魅せられ、虜になった。 その時、秋山庄太郎は将来自分が原節子を撮影することになるとはまったく 想像できなかった。まして、手作り料理を振舞われたり、酒を酌み交わしたり、娘の名付け親になってくれる仲に なるとは……。