—老体からは逃げられない。でも笑い飛ばすことは出来る—
萩原 朔美さんは1946年生まれ、2023年11月14日に77歳、紛れもなく喜寿を超えているのである。本誌「スマホ散歩」でお馴染みだが、歴としたアーチストであり、映像作家であり、演出家であり、学校の先生もやり、前橋文学館の館長であり、時として俳優にもなるエッセイストなのである。多能にして多才のサクミさんの喜寿からの日常をご報告いただく、連載エッセイ。同輩たちよ、ぼーッとしちゃいられません!
連載 第30回 キジュを超えて
散歩の途中で、咲き始めの桜の樹を見かけた。老木と若木が並んでいる。多分、もうすぐ朽ちてしまいそうなので、隣りに新しい樹を植えたのだろう。
ふと、布地にくるまった老木が自分だなあ、と思った。以前なら、その後若木に対して、嫉妬まじりに若さが羨ましいと、続けて思っただろう。
ところが、何も感じないのだ。今や若さに対して羨望が全くなくなってしまったのである。
魔法使いに、
「もう一度若い頃に戻れる、どうする?」
と言われたら即答で断わる。
あの、めんどくさい日々。自分に自信のない、鬱々とした時間。なに一つとして優れていると思えないコンプレックス。やりたい仕事が見つからない。なりたい人物像が浮かばない。異性関係の地獄。そんな若い日々など真っ平なのだ。(笑)
散歩の帰りに、また二本の桜を見た。当たり前だけれど、老木も若木も、花は色もカタチも全く同じ桜の花である。老木の花は色が薄いなどという事はないのだ。
人間にとって、花とは何なのだろうか。老人も若者も同じ美しい花を毎年開花させる。そんな事が可能だろうか。
まあ、花がなんであるかは分からないけれど、どこかで、自分が若者と同じ形状の花を咲かせられると思っているから、若さに羨望が無いのかも知れない。


第29回 僻んではいません
第28回 私の年齢観測
第27回 あゝ忘却の彼方よ
第26回 喜寿を過ぎて
第25回 生前葬でお披露目する「詩」
第24回 我を唱えず、我を行う
第23回 老いは戯れるもの
第22回 引きこもりの愉しみ
第21回 楽しい会議は老化を防ぐ

はぎわら さくみ
エッセイスト、映像作家、演出家、多摩美術大学名誉教授。1946年東京生まれ。祖父は詩人・萩原朔太郎、母は作家・萩原葉子。67年から70年まで、寺山修司主宰の演劇実験室・天井桟敷に在籍。76年「月刊ビックリハウス」創刊、編集長になる。主な著書に『思い出のなかの寺山修司』、『死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日』など多数。現在、萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館の館長特別館長、金沢美術工芸大学客員教授、前橋市文化活動戦略顧問を務める。 2022年に、版画、写真、アーティストブックなどほぼ全ての作品が世田谷美術館に収蔵された。