23.07.12 update

家庭教師、ガリ版印刷、お茶くみ、学費と生活費稼ぎのため始まった‟アルバイト”

流行語にもなった「アルバイト学生」

「アルバイト」という言葉は戦後に生まれて広まった。それまでは「内職」とか「学生の片手間仕事」と言った。
 戦後、昭和二十年代になって「アルバイト」と言うようになった。
 当時の京都の僧侶大学に通う学生と娼婦の純愛を描いた水上勉の『五番町夕霧楼』には、アルバイトについてこんな説明がある。
「当時はアルバイト学生という言葉が流行したころである。官立大学の京大や、府立医大や、ミッションの同志社大学にさえも、京都駅へ出てアイスクリームを売ったりする者がいたほどだから、昔のように、苦学するといった貧乏学生というかんじはなくて、誰もが闇米を買うために、かつぎ屋のようなことをしていた時でもある」
 戦後の貧しい時代、学生が生活費を稼ぐために働く。それが普通のことになっている。「アルバイト」とカタカナ(ドイツ語) で呼ぶことで苦学生のイメージも薄まった。
 昭和二十四年公開の映画、木下惠介監督の『女の園』では、東京で働きながら大学に通っている田村高廣が、自分のことを「アルバイト学生」と言っている。クリーニング屋の配達をしたり、石けん工場で働いたりしている。
『サンダカン八番娼館望郷』(74年、熊井啓監督)の脚本で知られる脚本家の廣澤栄の回想記『わが青春の鎌倉アカデミア戦後教育の一原点』(岩波書店、一九九六年)によれば、大正十三年生まれの廣澤は、兵隊に取られ、戦後、復員してから、鎌倉に設立された鎌倉アカデミアという学校に人学した。学業のかたわら、アルバイトに精を出した。
「そのころ『学生アルバイト』ということばが流行り、みんなさまざまなバイトをやった」。ここでも、「アルバイト」が戦後になっての言葉だと分かる。

昭和28年、東京大学の学生互助掲示板にはアルバイトの求人票だけでなく、売ります、買いますの情報や、下宿屋などの情報も張り出されており、学生たちにとっては掲示板を見るのが日課のようなものだった。ダンスパーティ券売りますの掲示もあるが、ダンスパーティは当時の学生たちには大きなイベントで、異性と知り合うチャンスでもあり、主催の学生グループにとっては大きな収人にもなった。これもまた、バイトのようなものだろ。

社会勉強でもあった学生のアルバイト

 女性も「アルバイト」をする。
 昭和四年生まれの向田邦子は、戦後、昭和二十二年に実践女子大に人学。長女として責任感が強く、なるべく親に経済的負担をかけないようにアルバイトに励んだ。アイスクリーム売りや、日本橋の高島屋デパートでのレジ係などをした。
『五番町夕霧楼』にあるように、京大や同志社の学生が京都駅でアイスクリーム売りをしていた時代だから、東京の女子大生がアルバイトでしてもおかしくなかったのだろうが、回想記「学生アイス」(『父の詫び状』)によれば夏の暑いなか、相棒の男子学生とあちこちの家を回ってアイスクリームを売り歩くのは大変だったようだ。中村登監督のホームドラマ『我が家は楽し』(51年) では、長女の画学生、高峰秀子は家計が思わしくないのを知って、思い切ってアルバイトをする。銀座での街頭似顔絵描き。見本の絵に、父親(笠智衆)、母親(山田五十鈴)、恋人(佐田啓二)の似顔絵を用意するのが微笑ましい。しかし、夜、酔払いにからまれ、閉口し、一日で挫折してしまう。お嬢さんには、アルバイトはつらかった。
 向田邦子のアイスクリームも一ケ月ほどで終っている。これは仙台に赴任中の父親が、娘がアルバイトをしていると知り、怒ったためという。父親としては、娘がアルバイトをするというのは、父親の面子にかかわることだったのだろう。
 それでも娘のほうは、さまざまなアルバイトを楽しんだようだ。社会を知るいい機会だし、収人もある。仕送りがあっても、本を買ったり、映画を見たりするには、やはりアルバイトが必要になる。
「毎日が楽しくて仕方がなかった。ちょっとした気働きがそのまま収人につながる面白さは、月給取りの家に生まれ育った身には初めての経験だった。今まで逢ったことのない人達との出合いも嬉しかった」
 学生にとって、アルバイトはいわば社会勉強になった。
 女学生のアルバイトで昭和三十年代、いちばん華やかだったのはデパートでのアルバイトだろう。
 昭和三十一年の映画、美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみの『ロマンス娘』(杉江敏男監督) では、女学生の三人娘が銀座の松坂屋でアルバイトをする。
 美空ひばりと雪村いづみは玩具売り場。江利チエミは風呂桶売り場(当時のデパートでは風呂桶まで売っていた)で、客(飯田蝶子) に「ちょっと入ってみてくれ」と言われ、からの風呂桶に入るのが笑わせた。これも社会勉強だろう。


かわもとさぶろう
評論家(映画・文学・都市)。1944年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持っ。『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5冊)『映画を見ればわかること』『向田邦子と昭和の東京』『それぞれの東京昭和の町に生きた作家たち』『銀幕の銀座懐かしの風景とスターたち』『小説を、映画を鉄道が走る』(交通図書賞)『白秋望景』(伊藤整文学賞)『いまむかし東京下町歩き』『成瀬巳喜男映画の面影』『映画の戦後』『東京杼情』『「男はつらいよ]を旅する』『老いの荷風』『映画の中にある如く』『「それでもなお]の文学』『あの映画に、この鉄道』『東京は遠かった改めて読む松本清張』『台湾、ローカル線、そして荷風』など多数の著書がある。

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