文人墨客、映画人たちが大挙して移り住んだ‟郊外“というユートピア

文士村、映画村となった小田急線沿線

 小田急が開通した昭和二年(1927)に現在の喜多見に移り住んだのは民俗学者の柳田國男。「町の話題」というエッセイにこう書いている。

 「昭和二年の四月、始めて小田急が通じて、この不細工な家を立てた頃にはあたりは一面のクヌギ林、その外は麦畑、遠くにただ一軒の赤い屋根が見えるばかり、春は雲雀(ひばり)の声が終日絶えなかった」

 クヌギ林、麦畑、ひばりの声。柳田國男は市中の喧騒からまったく離れたこの郊外住宅地がよほど気に入ったのだろう、昭和三十五年(1960)に没するまでこの地に住んだ。

 成城学園には昭和のはじめ、平塚らいてうが住んだ。砧には北原白秋が住んだ。代田には萩原朔太郎が住んだ。

 挙げてゆくと切りがないが、昭和のはじめ小田急線の沿線には、文人が数多く住んだ。やはり関東大震災のあとに開けた郊外住宅の中央線沿線には井伏鱒二をはじめ数多くの文人が移り住み、現在「阿佐ヶ谷文士村」と顕彰されているが、小田急線沿線も、昭和のはじめには文士村のようになっている。

 郊外は土地が広い。

 そのために向ヶ丘遊園地が造られたわけだが、同じように広い土地を必要とする映画の撮影所も郊外住宅地に造られた。

 昭和七年(1932)には、現在の東宝の前身であるPCLの撮影所が造られ(昭和十二年に東宝に改称)、小田急線沿線は文士村であると同時に映画村にもなった。

 現在も東宝スタジオは同じ地にある。撮影所に近い成城学園の町には、黒澤明、市川崑ら映画人が多数住むようになった。

 トーキーの第一作、五所平之助監督、田中絹代主演の『マダムと女房』が作られたのが昭和六年(1931)だったことで分るように、映画は昭和に入って急速に成長した。ちなみに『マダムと女房」は、郊外住宅地に住む若い夫婦の物語で、撮影は当時の郊外住宅地だった田園調布。

 『おかあさん』の監督、成瀬巳喜男も成城に住んた。子供が小さかった頃、家族で向ヶ丘遊園地に遊びに行ったのだろう。その良き思い出が『おかあさん』に反映されたのではないか。郊外住宅地は昭和の小市民のささやかなユートピアとして発展していった。

JASRAC 出0911521-901

かわもと さぶろう
評論家(映画・文学・都市)。1944 年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5 冊)『我もまた渚を枕―東京近郊ひとり旅』『映画を見ればわかること』『銀幕風景』『現代映画、その歩むところに心せよ』『向田邦子と昭和の東京』『東京暮らし』『岩波写真文庫 川本三郎セレクション 復刻版』(全5 冊)など多数の著書がある。

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